販売者に会いにゆく (旧・今月の人)

原田明雄さん

貯金してるんだ。 4月までに20万円貯めたいなぁ。

原田明雄さん

「子どものころは人見知りが激しくてさ」と笑う原田明雄さん(47歳)。だが、ビッグイシューが札幌で販売を開始した初日、誰よりも慣れたように明るく売っていたのが彼だった。
「接客業はしたことはないけど、戸惑うってことはなかったな。順応性があるから。人に合わすタイプなんだ。勤めていたときも、人づきあいは悪くなかったよ」

原田さんは地元・芦別の工業高校を卒業後、喜茂別のアスパラ工場に就職。パートの女性たち20~30人を監督・指揮していた。
「10年働いたよ。仕事は嫌いじゃなかったんだけど、給料がね……」 

その後、札幌に出てきた原田さんは、1年間ブラブラし、パチンコで退職金と失業保険を使い果たしてしまう。「一文無しになって、29歳のときに運送屋に再就職。最初は荷物の積み下ろしの担当だったんだけど、そのうちトラックの運転手になったんだ」
朝早くから夜遅くまで働いたが、再び辞めるはめに。

「リストラみたいなもんだな。はっきり言わないけど、『やめてくれ』といった雰囲気を漂わせるんだ。で、逃げた。トンズラ。退職金も受け取らないで。ハハハ」

40歳で職を失ったのだから、笑いごとではないはずなのに、原田さんはおどけてみせる。「アパートはすでに引き払ってたから、宿泊は自家用車。3ヶ月ぐらいは車で暮らしたかな。でも、駐車料金がかかるから、結局手放しちゃった」
そしてついに路上生活者に。2000年のことだ。

17歳のときに炭坑の事故で父親を亡くし、2度めの失業の頃に母親も世を去った。兄とも音信不通になっている。
「はじめて路上で寝たのは、何月だったかな。冬に近かったよ。最初のころは、何もしてなかったさ。生きてるのが不思議でしょ?」
空腹はデパートの試食でいやした。「大変だったよ。それだけでお腹いっぱいになるわけないし」

それでも、職探しはしなかった。「働く気がないというより、仕事なんてないでしょ? 働くのは好きだよ。そうじゃなかったら、同じ職場で10年も働かないよ。職を転々としてないし。ずっと同じところにいるタイプなんだ。やめるのが嫌いだし、『やめる』と言うのもイヤだし。だから、ダラダラといちゃうんだよね。やけを起こして辞めるってことはないよ」

"仕事好き"の原田さんは、昨年夏、札幌でのビッグイシュー試験販売に参加。そして、9月の本格スタート時に、販売員として正式に登録した。
「ビッグイシューは気に入っているよ。面白いなぁ、と思うね。自分が社長みたいなもんだから。売れるかどうかは腕次第。やりがいがあるね。けっこう凝るほうなんだ。今はビッグイシューにのめりこんでいるかな」

ビッグイシューの販売員になり、生活はがらりと変わった。
「楽しいというか。いろいろな人が悩みごとを話していくんだ」
路上での生活で失ってしまった人とのふれあいが、戻りつつある。
「息子に先立たれた親とかね。この間は、ガンを患った女性に、『4年生存で完治なんです。今2年半で…』と話しかけられたよ。『あと1年半がんばってください』って励ましたさ。俺が慰める側なんだよね」 そう照れ笑いをする。

原田さんの常連客は"おばちゃん"がメイン。アスパラ工場で働いていたときも、母親世代にモテたそうだ。
「夏の売り場(JR札幌駅西口)の常連さんは5人ぐらいかな。年配の女性しか寄ってこない。ハハハ。彼女たちのパワーはすごいよ。テレビでビッグイシューが報道されると、『テレビ観たよ』と元気な女性客が押し寄せててくるんだから」

熟年女性キラー・原田さんの売り上げは、なかなか順調だ。「1ヶ月1000冊をこえるときもあるよ」。たとえ収入が増えても、もうパチンコにはいかない。
「アパートに住みたいから」 原田さんは小さな声で恥ずかしそうに言う。「貯金をしてるんだ。4月までに20万円貯めたいなぁ。実現したら? パーッと使っちゃう。ハハハ。いや、部屋を借りるよ。今度アパートに住んだら、もう出るつもりないから。またここに戻ってくるつもりないから」

原田さんのもう一つの夢は、車を手に入れることだ。「車乗りたいねー。車のある生活に戻りたいよ。20数年間ずっと車を持ってたから。WXに乗ったこともあるよ。ハハハ。喜茂別時代に借金して買ったんだ」
北の国にも必ず春が訪れる。愛用の自転車で移動し、「車がない生活は疲れちゃったな」と嘆いている原田さんにも、きっと。

※掲載内容は取材当時のもののため、現在と異なる場合があります。

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