今月の人

Mさん

一番うれしいのは、自分のお金で食べられるようになったこと。 売り上げがいい日は奮発して、骨つきチキンも

Mさん

取材の日、待ち合わせ場所にMさん(54歳)は息を切らして走ってきた。聞けば、清掃の仕事の面接に行っていたのだという。求人情報をこまめにチェックしては何度落ちてもめげずに面接を受け、晴れた日はJR川崎駅東口アゼリア入り口、雨の日は屋根のある京浜急行川崎駅前でビッグイシューを売る。Mさんが見せてくれたノートには「16時23分、30代、女性」というように、お客さんが買ってくれた時間、およその年齢、性別がびっしり書き込まれていた。
「年齢は僕の見当だけどね。データが溜まったら統計を出して、売り上げを伸ばすための対策を考えようと思って」

今年の8月下旬からこの場所に立ち始めたばかりのMさんだが、顔見知りのお客さんも何人かできた。3日前にも、「会うと必ず差し入れを持ってきてくれる30代か40代の男の人が、自分のシャツ2枚とズボンを届けてくれた」という。また、いつも疲れた頃にやってきては「頑張ってもうちょっと売れよ」と、冗談交じりにからかっていくお客さんもいる。近くでちらし配りをしている青年とも今ではすっかり親しくなり、お互いに励まし合う仲だという。そして2週間前には、「自分もビッグイシューを売っとったっていう女の外人さん」がやってきて、最新号を1冊買っていったそうだ。

ここへたどり着くまで津々浦々を転々としてきたMさんだが、生まれ故郷は中国地方にある。4人兄弟の2番目だった。
「親父は土木関係の仕事をしていた。心臓に持病があって、手術もしたけど20年前に亡くなった。おふくろも病気がちだけど、老人ホームで何とか生きてるよ」

中学を卒業すると同時に大阪へ出たMさんは自衛隊や土木関係の仕事など、10以上の職を経験した。7~8年の間、放浪の旅に出ていたこともある。「北は長野から南は鹿児島まで。古本を売ってお金に換えては旅を続けた。気に入った土地には1年とか2年とか住んだ。もちろん野宿生活だけどね。駅の周辺に寝泊まりしては雨露をしのいでさ。一番情に厚い人が多かったのは鹿児島だった。居酒屋でたまたま知り合った人から、お酒を奢ってもらったこともあるよ」

そんな長旅を終えて横浜の寿町に流れ着いたMさんは3年ほど、ドヤ(簡易宿所)で暮らした。「最近のドヤは昔に比べると随分近代的できれいになった」とMさん。しかしそうはいっても、3年にも及ぶドヤ暮らしにはやはりつらいものがあり、いったんは故郷に帰った。そこで警備会社への就職も決まり、今度こそ平穏な日々が訪れるかに見えたが、「意地悪な同僚がいて」1年ほどで辞めた。

その後、仕事を求めて上京したが、なかなか採用してもらえず、3ヶ月を路上で送った。「でも東京はまだいいほうだよ。毎日どこかで炊き出しをやってるから」とMさんは言う。炊き出しをはしごしながらも、新聞の求人欄に目を通し続けていたある日、警備会社の募集を見つけ、面接会場の川崎に向かった。結局、面接には通らなかったものの、川崎の町が気に入ったMさんは現在、ホームレスの自立支援施設「富士見生活づくり支援ホーム」で寝泊まりしている。

「朝と晩はホームで食事が出るけど、問題はお昼。ビッグイシューのことは、横浜にいたときから噂に聞いてたけど、川崎へ来てやっと決心がついた。一番うれしいのは、自分のお金で99円ショップのパンを買って食べられるようになったこと。売り上げがいい日は奮発して、骨つきチキンまで食べられるようになったしね」

現在の売り上げは1日だいたい10冊。多いときでも30冊程度だ。昼食と仕入れでほぼ消えてしまう。「たまには飲みに行って女の子をからかってみたいなんて思うこともあるけど、そんなぜいたくはまだとてもできないよね。好きなお酒も完全にやめてる」。当面の目標は、「500円でも1000円でもいいから貯金をすること」。そして少しためらいがちに、「まだ一度ももらったことがないから、嫁さんをもらってみたい。僕は面食いだから理想が高くて、この年までもらえなかった」と、小さな声で教えてくれた。

初めはなかなか出なかった声も、近頃ようやく出るようになってきたそうだ。
「ただ黙って立ってたんじゃ、意味わからんわな。声を出してみんなに振り向いてもらわないと。川崎は人が多すぎて、僕の存在なんかすぐに埋もれてしまうから」と遠慮がちに言うMさんの赤いキャップは、人混みの中でも十分に存在感を放ち、際立って見えた。

※掲載内容は取材当時のもののため、現在と異なる場合があります。

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