販売者に会いにゆく (旧・今月の人)

青木徳行さん

一日、一日を無我夢中でやって、気づいたら2年経っていた

青木徳行さん

「とにかく、食うために自分でできることをがむしゃらにやってきただけ」と、青木徳行さん(33)。仙台市内、青葉通りとアーケード街が交差する持ち場に立って今年の7月で丸2年。仙台でのビッグイシュー販売が始まって当初からの販売者は青木さんただ一人。

今では他の販売者からは「師匠」などとも呼ばれているが、けして器用さに走らず、ビッグイシューを売る姿勢や常連のお客さまを大事に思う気持ちに共感しつつも、実は彼の真似はなかなか簡単にできそうにない、という思いがそう呼ばせているのかもしれない。

繁華街とはいえ青木さんの持ち場は条件がいい方とはいえない。一人、一人、常連となっていただくお客さまを地道に開拓してきた。持ち場の青木さんに近づくと、歌っているようにも聞こえる独得の調子で「情報雑誌ビッグイシュー~1冊200円の販売です~」と、今ではすっかり街角の風景に溶け込んでいるような錯覚を覚えるほどなじみのある口上が聞こえてくる。

これは販売トレーニングのビデオに登場していた販売社のスタイルを、彼なりにアレンジしたそうだ。「昔のモノ売りで竹屋~さおだけ~とか、市場でセリの時のかけ声とか、そういうのも参考にして…」

青木さんは中学を出て、約10年間水産関係の仕事を毎日早朝からこなしていた。肉体的には辛い仕事だったが少しずつ、任される量が多くなることにやりがいも見いだした頃、会社の都合でリストラ。親との間もギクシャクしてこともあって、結局路上に出ることになる。

路上生活にすっかり馴染んだ頃、ホームレス支援グループからの呼びかけに一も二もなく、青木さんは「食うためにはこれしかない!」と飛びつく。しかし、人気のない持ち場では当初、5冊売れるのが精一杯。「売り方が悪いのでは」などプレッシャーがのしかかり、立つのも辛い現実が青木さんの前に立ちはだかった。他の販売員が10冊、20冊と仕入れるのを横目に見て、自分は数冊のみの仕入れに留まるのもけっこうキツイことだった。

立って2ヶ月を越える頃、ようやく1日10冊をこえる売上げに到達する。わずかずつ増やし今は1日15冊前後を目標にしている。2年間のゆるやかな歩みのなか、上向きの変化もあった。最初の変化は「お客さまと会うことや会話が楽しくなった」こと。時には外国からの旅行者なのか、日本語での会話もままならないけれど買ってもらったりするケースも。

そして、今年の春には支援グループの助けもあって、晴れて居宅を果たす。これはビッグイシューの販売があってこそ、叶えることができた嬉しい変化に違いない。屋根の下では食べるものの味や、大好きなTVゲームの楽しさも格別に違うはず。しかし、居宅を果たした今も最優先にするのは、常連の顔を思い浮かべながらビッグイシューの新しい号を1冊ずつ、薄いフィルムの袋に詰める作業。これが終わらないと何をしても落ち着かないらしい。

売り口上や袋に入れて販売する工夫の他にもビッグイシューの記事を参考に、購買者には折り紙を一つプレゼントするサービスを始めている。なかなか好評のようで、「もっと複雑な折り紙をサービスしたいのだけれど、まだレベル2(初心者クラス程度)のものが限界。季節に合わせた工夫はするのでこれからも期待してほしい」と意欲を見せている。

販売当初の約半年間は重い所帯道具一式とともに、仕入先、持ち場、住まい(路上)の間、約10数キロを徒歩で移動していた。何もないところからのスタートだったから、いろいろな変化が青木さんには起きた、という見方もできる。けれど、絶対に元には戻らない、少しずつでいいから前に進む、という強い意志が彼に備わっていたからこその変化に違いない。焦ることなく、一人でもご贔屓をつくっていく、という青木さんの姿勢には頭が下がってしまう。

青木さんはこの春、長い間連絡をとっていなかった父親が他界したことを知る。「なぜか、血縁関係の人間は信用していないオヤジだったけど、元気な頃にせめて息子の自分に悩みなど色々と話してほしかった」。親戚筋からは「青木家の男はあなた一人になってしまったから早くお嫁さんをもらって子孫を絶やさないように」と言われたことには、苦笑するしかなかった青木さんだが、次の目標は職にありつくこと。前に、前に進んできた彼なら、それも間もなく叶うかもしれない。

※掲載内容は取材当時のもののため、現在と異なる場合があります。

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