販売者に会いにゆく (旧・今月の人)

河合さん

全国を鳶職人として渡り歩いた。余裕ができたら、北海道、沖縄を山下清みたいに旅したい

河合さん

旅する販売者。名古屋の販売者である河合さん(55歳)と話をしていてふとそんなフレーズが頭に浮かんだ。それも55年の人生の半分以上を、全国の建設現場を鳶職人として渡り歩いた、という経歴を聞いたからだ。

名古屋でのビッグイシュー販売が始まって4月で1周年。河合さんも間にブランクはあるものの5月で販売歴1年になった。昨年は売り上げにとにかく伸び悩んだ年だった。

「最初に売り始めた時、知名度が低かったこともあるんだろうけど毎日一桁しか売れなくて仕入れもできない状態で。ほんとお腹すくからねえ、続けられなかった。少し休ませてもらって復帰した時に場所を変えてもらってね。それからしばらくして、1日25冊くらいに伸びたのかな」

現在の販売場所は名古屋の繁華街、栄にある丸栄の北西角だ。昼間は三越、パルコ、松坂屋などの店員や買い物客が通行し、夜は一気に様子を変えて水商売の若者や酔っぱらい客であふれかえる。

河合さんは朝の8時から立ち、客層が変わり出す3時半には切り上げる。「栄は『眠らない街』なんて言われてるけど、まあ大阪なんかに比べたら大人しいと思うよ。でも夜に立っててもしょうがないからね」。最近は販売の仕事にも慣れてきて、天職とも感じているそうだ。30年間旅をしながら鳶職人として生きてきた河合さんの経歴を考えると、驚きとも思える。

「もともとはここ愛知県の出身なんだけど山ん中でね、猿みたいに山を駆け回って遊んだな。野いちご取りに行ったり、どんぐりとか栗とか何でも食っちゃったよ」と幼少期を思い出して笑う。その後、高校を中退して勢いで家を飛び出した河合青年は、今度は山ではなく全国津々浦々を駆け回ることになる。

「まず友達に誘われて横浜へ。それから東北にいたなと思ったら山口へ行ったり。四国にいて、気がついたら青森におったり。九州沖縄をのぞいてほとんどの土地に行ったんじゃないかな」。建設業の会社に雇われ、鳶職人として全国の足場を組んでまわる。その間の寝泊まりは会社が用意した宿舎だが、会社が潰れたり雇用条件が悪かったりすると、自ら次の現場を求めて他の地に歩いていく。北国では27歳で、人生ただ一度きりの結婚生活も味わった。短かった結婚生活を振り捨てるように北から一気に広島、そして神戸へ。その後の約10年間を神戸で過ごすことになる。神戸では昭和から平成にかわる記念の年ばかりか、1995年の阪神淡路大震災を体験することにもなった。

「僕がその時に住んでいたのは神戸市北区。山を崩して大きな団地を作るっていう現場で。そしたらあの地震がどんっときた。仕事は一気に復興作業にかわったね。それから2年後くらいに会社がつぶれちゃって」

再び移動。神戸から大阪へ向かうも仕事は見つからず、梅田で2週間の路上生活。そこで友達になった男性と二人で川沿いを1日半歩き、京都へとたどり着いた。「京都は辛かったなあ。水道も何もないところで寝てね、夏は暑くて冬は寒い、しのぎようのない場所で。そしたら親切なおじさんがおって声をかけられてさ。『今から名古屋行くんだけど来るか?』って。『でも金がない』『じゃあ俺が出すから』って新幹線代を出してくれて、ようやく名古屋に帰ってこれた」

すっかり販売の仕事に慣れてきた河合さん。近い将来には路上生活をする仲間たちと共同でアパートを借りることができないかと考えている。

「屋根があって壁があって畳があって、布団の中でころっと寝ると。一日一日が楽しく生きていければいいな。僕らは普通は、一般の人とは話しにくいでしょう。でもビッグイシューの販売をしていれば気軽に声をかけてくれる。話しかけてくれるってのが一番嬉しいね。『元気?ごはん食べた?』とか、風邪をひいた時に薬をもらったとか、やっぱり嬉しいよね!」と河合さんがビッグイシュー販売を”天職“と感じたわけも話してくれた。そしてもう一つの夢はやっぱり…?

「旅だね。余裕ができたら。こっちが暑い時は北海道、こっちが寒い時は沖縄。山下清みたいにね。はははは!ひとところにずっとしてるのが好きじゃないってのは飽きっぽい名古屋人だね。でも旅はどこに行くのも好きだよ。何だったらビッグイシューのない地域に雑誌を持って行って、旅した先々でみんなに読んでもらうよ」と満面の笑みを浮かべる。旅する販売者、もしそういったものがあったなら、河合さんには最強の天職になるにちがいない。

※掲載内容は取材当時のもののため、現在と異なる場合があります。

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