販売者に会いにゆく (旧・今月の人)

「お茶の水博士」ことOさん

【ビッグイシューOB編】 チャンスさえあれば、IT業界でもう一花咲かせたい

「お茶の水博士」ことOさん

ビッグイシューの「お茶の水博士」ことOさん(55)が、JR御茶ノ水駅と東京医科歯科大や順天堂病院とを結ぶお茶の水橋から姿を消したのは、今年3月のこと。2年と少しの販売員生活を経て、今は都内で契約社員として事務の補助をしている。月に平均1200冊を売り上げるほどのカリスマ販売員だったOさんは、ぱらつく程度の小雨なら傘を差し、クリアケースに入れた雑誌を25冊ほど小脇に抱えて売り続けるほどの努力家だった。毎朝7時半から夕方4時まで橋の上に立ち、貯めたお金で今春、まっさらなスーツを買うと10社以上の面接を受けた。そしてついに今の仕事を射止めたのだが、仕事を手にしただけで満足してしまうようなOさんではない。「チャンスさえあれば、働き盛りの頃に籍を置いたIT業界でもう一度働きたい」と、早くも次なるステップアップを目指している。

会社員のお父さん、専業主婦のお母さん、そして弟というごく一般的な家庭に生まれ育ったOさんは、パソコンが今のように普及するはるか昔の35年前に故郷の北国から上京し、IT企業に就職。そこで20年間もソフトの開発に携わってきたにもかかわらずバブルが弾け、リストラの対象となった。業界全体の仕事が減ってしまったため、それまでの経験を生かした再就職は難しく、やむを得ず警備員などのバイトを転々とした。そして5、6年前、ついに路上で暮らすようになった。炊き出しや役所で配るカンパンで空腹をしのぎ、月に5回ほど、各家庭の郵便ポストにチラシを入れるバイトをした。ホームレスを支援する連絡会で、ビッグイシューの販売員を募るチラシをもらったのはちょうどそんなときだった。

「食べていくためにとにかく何か始めたかったので、すぐに決心はつきました」
そこから、Oさんの綿密な分析と試行錯誤の日々が始まる。

「ビッグイシューのお客さんは、知的好奇心から買ってくれる20代の人と、販売員を支援する気持ちから買ってくれる50代、60代の人に大きく分かれます。知的好奇心から買う人は雑誌の内容で選ぶわけだから、僕の努力ではどうしようもない。残る支援の気持ちから買ってくれるお客さんを増やすには、どうすればいいのか。懸命に考えた結果、販売員である僕自身に付加価値をつけるしかないと思ったんです」

そこで思いついたのが、『いやし系路上新聞おまけ』の発行だ。A4サイズの紙いっぱいに、有名人の名言や自作の川柳、図書館で調べたネタなどを載せた、読み応えのあるこの新聞。実は図書館で見かけた、地域住民や学生の手による新聞がヒントとなったそうだ。手書きではなく、ネットカフェでワープロソフトを使って打ち、プリンタで出力。それをコンビニのコピー機で月に1200部近く刷り出し、1部ずつ封筒に入れて、ビッグイシューを買ってくれたお客さん一人ひとりに無料で提供するという徹底ぶり。なぜ、これほどのコストと手間をかけてまで、新聞を発行しようと思ったのだろうか。

「僕のモットーは"明るく、真剣に、粘り強く"。粘り強くだけなら、誰でもやっている。暑い日も寒い日も頑張っているわけですから。難しいのは明るく、真剣に。いくら支援のためとはいえ、明るく真剣じゃない販売員から誰も買おうとは思わないはず。新聞は、明るく真剣に頑張っている自分をさらけ出し、わかってもらうためのツールだったんです」

その甲斐あって、当初70部だった新刊発売初日の売上部数は100部以上にまで伸びた。Oさんの川柳に触発されて、自作の川柳を投稿してくれるお客さんも現れた。寄せられた川柳の中には、「ビッグイシューこの人だから買っている」「何よりの励みはあなたの頑張りだ」といったものもあり、お客さんとの距離がぐんと縮まっていくのを感じたという。また、「つらくてほぼ毎日、販売の仕事をやめたいと思っていた」Oさんにとって、お客さんから差し出されるドリンクや手編みのマフラー、そして温かい言葉は何ものにも変えがたい心の支えだった。結局、新聞は6回で発行を終えたが、お客さんの勧めで、今はネット上に「お茶の水でビッグイシュー■あの人は、今」というブログを公開している。路上で出合った面白い看板や店などの写真に添えられた軽妙な文章が、とても小気味いい。

現在のOさんの勤務時間は昼から夜までの実働6時間。自由に使える午前中を就職活動に充てている。IT業界でもう一花咲かせる夢が実現するまで、Oさんの挑戦はまだまだ続く。

※掲載内容は取材当時のもののため、現在と異なる場合があります。

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