販売者に会いにゆく (旧・今月の人)

小林廣さん

夢はのんびりジャズでも聴きながら、アイ・ダブリュ・ハーパーの 12年ものをオンザロックで飲むこと

小林廣さん

東京駅の東、八重洲通りと中央通りの交差点でビッグイシューを販売する小林廣さん(57歳)にひとたび声をかけると、日常生活の中でつい見過ごしがちな日本語の間違いや、日本のマスコミがすべて同じ視点からしか報道しないことへの批判等々、テレビのコメンテーター顔負けの鋭い論評が次々に飛び出し、その博識ぶりに驚かされる。

大手銀行の本店や一流企業の本社が林立するこの辺りを歩くビジネスマンは、インテリ肌の人ばかり。繁華街と比べて人通りが少ないわりに頭の切れる論客が多く、商売しやすい環境とはいいがたい。そんな八重洲の町で小林さんは、1日に平均40~50冊もの雑誌を売り上げる。
「エリートビジネスマンは雑誌1冊を買うにも内容をよく吟味するので、黙って突っ立っているだけでは売れません」

そう言うと小林さんは、スケッチブックのスプリングとクリアファイルを連結させて作った、オリジナルの商売道具を見せてくれた。最新号の表紙が飾られたページを1枚めくると、特集記事の一部を立ち読みできるしかけになっている。
「八重洲のみなさんは、ビッグイシューの趣旨をきちんと理解してくれているので、雑誌を受け取らずにお金だけ置いていく人はまずいません。その代わり、1度気に入ると、発売日に小銭をきっちり用意して買いに来るような、手堅い読者になってくれる方が多いんです」

小林さんがビッグイシューを知ったのは去年の秋。ホームレスを取材していたイギリスのBBCからインタビューを受けたときのことだった。取材クルーの中にいた日本人スタッフが「困ったら、ここに電話してみて」と、1冊の雑誌をくれた。それがビッグイシューだった。

さっそく登録手続きをした小林さんは初めのうち、他の販売員と一緒に御徒町に立っていたが、「小林さんなら八重洲でもやっていけるかもしれない」と仲間に勧められ、今の場所で試験的に販売を始めた。するとキャリアウーマン風の女性がやってきて、「あなた、ここで売るの初めてなの? ぜひ八重洲にいらっしゃいよ」と、一冊買っていってくれた。この町の人から認めてもらえたことで自信を得た小林さんは、その日のうちに、八重洲で販売員をやっていく決心を固めた。

小林さん自身も路上生活を余儀なくされるまでは、カメラのメーカーに勤務するごく普通の会社員だった。長野で写真館を営むお父さんの影響を受け、若い頃から写真に親しんできた小林さんは、何の迷いもなくこの道を選んだ。不況のあおりを受けて「体のいいリストラ」をされ、年齢制限の壁に阻まれて再就職もままならぬまま住む場所を失った今も、小林さんはポケットに収められたデジカメで、町の何気ない風景を撮り続けている。

生まれ故郷の長野では、中学生の頃に大恋愛も経験したという。
「クラスメートだった彼女は、中学生にしてクレオパトラか楊貴妃かというほどの美人で、よそのクラスの男子からも人気がありました。彼女と出会った瞬間、スッと引き込まれるような不思議な感覚に襲われたんです」

それから高校を卒業するまで二人の交際は続いたが、小林さんが就職を機に上京し、彼女は別の男性と結婚した。そんな彼女と数年前に長野で再会した小林さんは、終始黙り込んでいた彼女が帰り際に言った「家庭を崩壊させる気?」というひと言が忘れられないという。このひと言で小林さんは、彼女が今も自分と同じ気持ちでいることを確信した。それ以来、彼女とは会っていないが、心の中ではずっと変わらぬ恋人のままだ。
「巷で恋愛、恋愛と騒がれているものは本当の恋愛なんかじゃありません。本当の恋愛は心変わりもしないし、終わりもしない。たとえ離れていても、二人の間には何者も立ち入ることができない。そういうものなんです」

最後の日に撮影した、愁いを帯びた眼差しが印象的な彼女の写真は今も、八重洲に立つ小林さんの支えとなっている。

研究熱心な小林さんは、1日に123冊を記録する日があっても決してそこで満足しない。「人の流れを読む」ことで、さらに売り上げを伸ばそうと努力している。朝11時前から八重洲の交差点に立ち、日が暮れると、人の流れがより集中する有楽町へと移動する。

「僕の夢は故郷の長野に帰って、のんびりジャズでも聴きながら、アイ・ダブリュ・ハーパーの12年ものをオンザロックで飲むこと。極楽でしょうね」
そんな優雅な老後を現実のものとするために、小林さんは1日平均100冊突破を目指す。

※掲載内容は取材当時のもののため、現在と異なる場合があります。

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