販売者に会いにゆく (旧・今月の人)

牧田将宏さん

自分だけ良ければいいのじゃなく、仲間と一緒に上がっていきたい

牧田将宏さん

買い物客でにぎわうアメ横の御徒町側入口に面した春日通り沿いの路上が、牧田将宏さんの定位置だ。「私ともう一人とで昨年の12月上旬から販売を始めたんですが、2日目で販売者が私一人になってしまってね」

彼が“師匠”と呼ぶ、大阪から来た指導担当の販売者・大川さんとマンツーマンで販売をスタート。通りのこちらと向こうに分かれ、競うように売った。「師匠が順調に売れるのを見て、負けてられない」と、自分なりのやり方を見つけ、売り上げを着実に伸ばした。

「ただ立っているだけではなく、むやみに大声を張り上げるだけでもいけないんです。平板な声では、どうしても街の騒音にかき消されてしまうからね。こちらを見てくださる方がいたら、その方に直接話しかけるように大きめの声を出すんです。要は抑揚ですね。そして、その人の雰囲気や年齢に合ったトークをするように心がけてます。買ってくださった方とは、できるだけ話もします。“次”につなげるためにもね」

「定価以上のお金を渡される方がたまにいるんですね。そういう方には、“代わりに、知り合いの方に宣伝してください”と言うんです。人が人を呼んで、徐々に確実にビッグイシューが広まっていくと思うから」

これも「“買ってもらう”レベルから“売る”という次のレベルへ行くための準備」が必要だと考える彼のやり方だ。

幼い頃に生まれ故郷の岐阜県を離れ、大学卒業までを大阪で過ごした。化学を専攻していたこともあり大手製薬会社に就職。何度かの転職で、油田プラントの開発のためにクウェートに勤務したこともあった。若い頃は大阪や東京の繁華街でよく遊んだ。そして家族を持たずにきて、昨年定年を迎えた時は高速道路の建設技術者だった。

「次の働き口がないわけでもなかった」が、再就職はしなかった。老後の人生設計があったわけでもなかった。「興味が湧いたものには、何にでもすぐ飛びついちゃう」と自らを分析する彼は、「仕事で全国を飛び回って来たけど、都市と都市の“あいだ”の風景を見たくて」幾らかの貯えを手に、長野県から自転車で放浪の旅に出たのだ。

「好きな俳句を詠みながら、飛び込みで手伝いをした農家に泊めてもらったりして、何とか生活してましたね。神社なんかにも泊めてもらって」

8ヶ月後、上野にたどり着いた時には、所持金は10円玉3枚と1円玉数枚になっていた。せっぱ詰まって周辺の飲食店などの仕事を探してみたが全て断られ、初めて路上生活を経験した。

「ぎりぎりの所まで思い詰めていたあの時が、一番しんどかったかな」

ちょうどそんな時、公園でビッグイシューの販売者を勧誘しているキリスト教会関係者・和田さんの一団を見つけたのだ。「でも、それまでは何とかなるだろうと思っていたんだよね」

綿密に雑誌の販売戦略を立てる今の彼の姿からは想像もつかない、楽観的な一面も垣間見える。販売を始めて1週間後、後輩が続々とできた。「新しい販売者のための説明会でみんなに話をしてね。それ以来、リーダーみたいな感じになってしまった」

彼は、販売や、精神面でも上野のグループを引っ張っている。

「一段一段階段を上がっていこうと“師匠”と話をしたんです。あせって階段を踏み外さないように。もし踏み外してしまっても、転げ落ちないように、土台をしっかりつくっていこうと」。仲間の世話をしていると自分の売り上げが減るという、「リーダーならではのジレンマ」もあるが、自分の販売時間を割いても、仲間の様子を見て回っている。

「ひとりでブルーになってしまう人もいるしね。ドロップアウトしていく仲間を見るのはつらいから」。出会って間もない仲間をそんなに気遣う理由を、「何かの縁だから」と簡単に言う。「仲間とは一緒に上がっていきたいんです。自分だけが良ければいいんじゃなくてね」

まだ販売を開始して1ヶ月。早くも「販売に対して“フツフツとした野心”が芽生え始めている」そんな好奇心旺盛な笑顔を見せる彼へ、最後に聞いてみた。このひと月で一番変わったことは何ですか?「特に自覚するような変化はないんです。ただ半年後、1年後にやっとわかるんじゃないですかね。久々に会った友達の変化に気づくみたいにね」
(5号より)

※掲載内容は取材当時のもののため、現在と異なる場合があります。

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