販売者に会いにゆく (旧・今月の人)

米国『ワン・ステップ・アウェイ』販売者 リチャード・ランソン

自分の人生は決してたやすくなかったけれど、 娘には家と呼べる場所をあげたかった

米国『ワン・ステップ・アウェイ』販売者 リチャード・ランソン

私は、米国フィラデルフィアで育ちました。両親に育ててもらった記憶はなく、小さい頃から十分な愛情やケア、支援を受けることができませんでした。薬物と暴力に満ちた家庭に育ち、私の人生はおのずと破滅的な方向へ向かいました。
5歳か6歳の頃には、叔母の家に移り住むことになりました。しばらく平穏な時を過ごしましたが、やがてまた薬物が生活に忍び込んできました。叔母がコカイン依存症に陥り、育児放棄したんです。結果、10歳の頃に私は福祉局に連れて行かれ、グループホームで育てられることになり、その暮らしは18歳になるまで続きました。
心に傷を残すような数々の経験をし、私はずっと過去に囚われていました。ですが2003年のこと、天からのお告げがあったような気がして、詩や歌詞を書き始めたんです。その年の8月、飛び入りで入った店で自分の作品を初めて披露しました。そして15年以上経った今、私は詩人やMCとして活動しています。
作品の多くは、子ども時代に受けた傷が題材となっています。どんな困難を経験しようとも、命あるかぎりセカンドチャンスは常にあり、まわりの人たちとの協力のもとやり直せるということを伝えたい。 『ワン・ステップ・アウェイ』と出合って雑誌を販売できたのは幸運でした。4度シェルターのお世話になりながらも7年間自活できたのは、勤勉に働き、ポジティブな気持ちを保っていれば、物事はよい方向に動いていくことを教えられたからです。
18年2月16日には、娘のシンフォニー・グレースが生まれました。私の人生における最大の祝福と言えるでしょう。彼女の存在が、人生を生き抜く動機を与えてくれました。そして、住まいの必要性を切実に感じるようになりました(その後ランソンは、同誌と地域の不動産会社が連携した家賃補助プログラムでアパートに入居できた)。
ここまで支えてくれたスタッフと販売者仲間には、なんと感謝の言葉を伝えたらよいかわからないくらいです。スタッフは苦楽を共にしてくれ、サポートしてくれ、僕たちを愛してくれました。そして今では僕は、尊厳を持ち、正直で、情熱的に自信を持って仕事に従事する人間になることができました。
シンフォニーが生まれてから、彼女に家と呼べる場所をあげたいと切望してきました。人生は決してたやすくはなかったけれど、いま彼女の父親でいられることを心から喜んでいます。
そして「ホーム」と呼べる場所を持つことが、これほど素晴らしいことであり、人生に安定をもたらすことを知りました。『ワン・ステップ・アウェイ』と共に歩んだ日々は、今ここにある現実に一歩一歩近づいていくための道のりだったのです。

Text:Richard “Ram” Ramson, One Step Away/INSP/八鍬加容子
* この記事は昨年取材されたものです
(写真クレジット) Photos: Ken Kauffman
(サブ写真キャプション) 新居で、食料が詰まった棚を見せるランソン
(雑誌情報) 『One Step Away』
1冊の値段/5ドル(そのうち3.5ドルが販売者の収入に)
発行頻度/毎月(現在はコロナの影響で休止中)
販売場所/フィラデルフィア

※掲載内容は取材当時のもののため、現在と異なる場合があります。

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