販売者に会いにゆく (旧・今月の人)

根本庄吾さん

自転車と寝袋を買って旅をしたい。昔、一人で見た風景を仲間と一緒に見たい

根本庄吾さん

新宿駅西口を南北に走るモザイク通りの真ん中よりやや小田急百貨店寄り。そこが根本庄吾さんの販売場所だ。「年齢? そんなものはとっくに数えるのをやめてしまったよ。生まれた場所? それも忘れた」。どこか遠い国の弦楽器を思わせる根本さんの独特な声音を聞いていると、そんなことは本来どうでもいいのかもしれない、つまらないことを聞いたものだという気持ちになってくるから不思議だ。

しかし、何もかも忘れてしまったはずの根本さんにも、今も脳裏にしっかりと焼きついて離れない故郷の原風景がある。「家には馬、羊、ヤギ、和牛、鶏、それからお蚕様。何でもいたよ。畑では青首大根、タバコ、お蚕様のエサになる桑の葉なんかも育てていたし、ヤギの乳をしぼったり、収穫した豆を大きさ別に箱詰めしたりと、とにかく何でもやった」

根本さんは身体の弱い両親を支えるために農繁期は家業である農業を手伝い、農閑期の冬が来ると東京の町田で下水管の工事をした。22~50歳過ぎまで、そうやってずっと仕送りを続けてきたのだという。仕事を辞めてしまったのは、「トイレが近くなって現場で働けなくなったから」だそうだ。
それからは東京じゅうのごみ集積所をさまよい歩き、壊れた家電をお金に換えては命をつないだ。たった一度だけ、お金の入った貯金箱を見つけたこともある。

今年の春、そんな生活からやっと抜け出すことができたのは、路上で暮らす仲間が根本さんを販売員の仕事に誘ってくれたからだ。でも現実は厳しい。調子のいい日は20冊近く売れるが、ひどいときは1日たったの3冊しか売れない。「新宿には魔物が棲んでいるからね、黙っていても売れる日もあれば、大きな声を出しても全然売れない日もある。でも夜は酔っぱらいが多いから、売れても売れなくても7時には必ず引き揚げる」

指をピストルの形にして「バン!」とからかわれたこともある。駅の構内で立ちションしている人を見かけたこともある。人をあんな姿に変える酒は好きじゃない。でもたまにやってられなくなって、自分も飲んでしまうことがあるという。

新宿の街を歩くのは日本人ばかりではない。毎日さまざまな国の人が、根本さんの前を通り過ぎていく。「この間もね、3メートルはありそうな黒人が『ガンバレヨー』って励ましてくれた。指には派手な指輪をはめて、革ジャンを着て、まるで映画俳優みたいだった。あんなおっかねえ人に買ってもらったのは初めてだよ」
お客さんからの温かい励ましは何よりもうれしい。しかし販売員をしているとつらいこともある。一番つらいのはトイレが近いのもさることながら、自由に行動できないことだ。販売員になる2~3年前、根本さんは知り合いから譲ってもらったポンコツ自転車にまたがって、地図だけを頼りに関東一円をひとり旅したことがある。所持金はわずか。夜は星空の下で眠った。でも自由だった。来る日も来る日もペダルを踏んだ。日光で巨大な杉を見上げ、山梨の果樹園を通り抜け、長野の空港で飛行機を眺めた。「黒部ダムの一歩手前まで行ったんだけど、雪が深くてそれ以上進めなかった。あのときは本当に悔しかったよ」

東京へ着くのと同時に自転車は壊れた。「雪辱を果たすためにもう一度、新しい自転車と寝袋を買って旅をしたい。あのとき一人で見た忘れられない風景を、今度は販売員仲間と一緒に見たいねえ」
そのために根本さんは、食費を少しでも浮かすよう心がけている。「豆腐を買ったときも、しょうゆ代を節約するためにカップうどんの中に入れて食べる。これが意外とうまいんだよ」
足りない栄養は飲み物で補う。「ポリフェノール入り」「果汁100%」など、できるだけ身体にいいものを選んで飲む。

そしてもう一つ、根本さんにはやり残したことがある。実は雑誌のグラビアを飾るかわいい女の子が大好き。でも若い頃は両親への仕送りに追われて、女の子と遊んでいる暇などなかった。「俺だって男だから、死ぬまでに一度くらいはユンソナちゃんみたいな女の子とデートしてみたいよ。だってこのまま死んだらさ、せっかく人間として生まれてきた価値がないじゃん。今まで苦労してきた意味がないじゃん」
やり残した青春を取り戻すため、根本さんは今日も魔物が棲む新宿に立つ。

※掲載内容は取材当時のもののため、現在と異なる場合があります。

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