販売者に会いにゆく (旧・今月の人)

カナダ『メガフォン』 販売者 ヘンドリック・マリナス・ビューン

人生の終わり、何より心に染みるのは周囲の人が伝えてくれる私への思い

カナダ『メガフォン』 販売者 ヘンドリック・マリナス・ビューン

大学で海洋生物学や動物学、生態学を学んだ後、貝の養殖を営み、世界中の海でスキューバダイビングを楽しんだヘンドリック。パーマカルチャーのコンサルタント業やボート作りにも携わり、資源ごみの熱心な収集者であり環境活動家としても活躍した。
そんなヘンドリック・マリナス・ビューンが、色とりどりの人生に幕を下ろした。生前、海の香りが心地よいセント・ジョン・ホスピスへ見舞いに行くと、彼は感動した様子で語った。「私がこんなところで最期を迎えられるなんて」
最後の日々を送るヘンドリックは、鋭い洞察力とそれに釣り合うユーモアのセンスを失っていなかった。末期がんと診断され、わずかな闘病を経て2019年12月14日、妻と2人の娘、4人の弟たちに見守られながら静かに息を引き取った。68歳だった。
オランダのユトレヒトで生まれたヘンドリックが、カナダに移住してきたのは1970年。ブリティッシュ・コロンビア大学を卒業後、サンシャイン・コースト近辺に12年間住み、“本格的なヒッピー”になった。
カキをはじめとする貝の養殖を営みながら素朴で和やかに暮らしていたが、来る日も来る日も貝を運び続けた彼はついに腰を痛めてしまった。「50歳を過ぎると、あの重労働が身体にこたえるようになったのです」。そうしてバンクーバーに戻り、「故郷に導かれるように」ダウンタウン・イーストサイド(※)に移ったという。同地区にはすぐに馴染んだが、住人たちの苦難を目の当たりにし、自らもそれを経験した。
「にぎやかで活気あふれる地区でした。長らく人里離れて暮らしていた私にとってはうれしい変化でしたが、あの騒音が……。特に耳をつんざくようなサイレンの音は、本当に耐え難かった。(この地区には)PTSDを抱える人が大勢います。幼少期の体験がトラウマとなり、精神疾患や薬物依存症になってしまった住人がほとんどです」と彼は言う。
ヘンドリックは、こうした地域の現状に何もせずにはいられなかった。亡くなるまでの約20年間、(地域団体の)諮問委員会、作業部会、理事会や労働者団体など、数々の地域活動に身を捧げた。『メガフォン』では08年の発刊当初から販売者となり、常連の寄稿者でもあった。
「雑誌を販売していた机には、いつも手帳が広げられていました。縫い目が裂けたその手帳には、人と会う約束や会議などの予定が走り書きされ、地域のニュース記事の切り抜きも挟まれていました。彼のエネルギーが一目で伝わってきましたね」と同誌の元事務局長ジェシカ・ハノンは言う。
元編集者ステファニア・セッチアはこう思い出す。「話し好きの彼は、地域を愛し、書くことを愛していて、食の安全や社会正義、自然保護をかなり強い姿勢で訴えていました。その想いが周囲の人々をも動かしていました。私も、地域の多くの人たちも、彼がいなくなって寂しがっています」
「人生の終わりが近づくにつれ何より心に染みるのは、周囲の人が伝えてくれる私への思いです」とヘンドリック。「そこで語られるのは、紛れもない本音なのです。最期ですから、誰も駆け引きなどしてこないでしょう」

(Paula Carlson, Megaphone / INSP / 編集部)

※ バンクーバー東部にある地区で、路上生活者が多く住む地域

『メガフォン(Megaphone)』
●1冊の値段/2カナダドル(そのうち1.25カナダドルが販売者の収入に) 
●発行頻度/月刊 
●販売場所/バンクーバー、ヴィクトリア

※掲載内容は取材当時のもののため、現在と異なる場合があります。

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