販売者に会いにゆく (旧・今月の人)

美馬直史さん

「今日はもうやめや」と帰ったこともあった 悪いことがあれば、きっといいこともあると今は思える そしたら、なんでかわからないけど、本当に雑誌が売れ始めたりする

美馬直史さん

「あの時は売り上げがガクンと落ちて、何もかも嫌になったんです」
大阪の阪急蛍池駅で販売する美馬直史さん(55歳)は、突如としてビッグイシューの前から姿を消した時のことをそう振り返る。梅田で販売していた2011年頃のことだ。当時、売り場近くの阪急百貨店が建て替え工事を始め、人の流れが大きく変わったことで雑誌の売り上げが半減したという。それから数年後、再び販売者として路上に立ったが、この時も販売不振に嫌気が差してビッグイシューのもとを離れた。
「仕事が長続きしないのも課題だけど、もともとコミュニケーションが下手で、人に何か言われたらすぐに考え込んでしまって、シュンとなる。精神科の先生には対人恐怖症だと言われたこともあって、今でも初対面の人とは何を話したらいいかわからない」
何度目かの復帰で、現在の蛍池の売り場に立ったのは昨年8月。迷惑をかけすぎてビッグイシューにはもう戻れないと思っていたが、たまたま町で若いスタッフに出くわし、「帰ってき! みんな待ってるから」と言われた。ただ、以前とは違い、今のビッグイシューは忙しそうで、スタッフにも気軽に話しかけにくい。自分は雑誌の売り上げで会社に貢献することでしか恩返しできないが、それもままならないのが今ははがゆい。
「なんていうか、ビッグイシューが提供してくれるものを販売者がどう活かすかだと思うんです。販売者の意見が言えるサロンもあるし、そこで『こんなことをしたい』と言うとある程度はやってくれる。宣伝用のポスターの書き方も聞けば教えてくれる。その人が似合う服のコーディネートだってしてくれる(笑)。あとは販売者自身のやりかた次第だと」
売り場の環境も、かつてとは違う。どうにか固定客がついて最低限の暮らしはできているが、通行人からはしばしば厳しい言葉も浴びせられる。大声で臭いと吹聴されたり、小学生に「死ね」と言われたこともある。それでも今の自分にできることをと、お客さんには自分の言葉で綴った小冊子を毎月制作して、雑誌と一緒に渡すようにしている。自身の近況報告はもとより、ちょっとタメになりそうな雑学や地域の歴史を自分なりに調べて書き、試行錯誤で川柳にも挑戦している。
「今回は何を書こうかなとか、どうやったら喜んでくれるかなとか思いながらつくるのが楽しいんです。制作に半月以上かかることもあるけど、『あれ、良かったよ』と言われたら、やっぱりうれしいですね」。秘かな願いとしては、100以上つくった川柳を誰かに的確に評価してもらい、いずれは1冊にまとめることができたらとも思っている。
最初に路上に出てから、すでに20年余り。今はステップハウスで生活しているが、これからのことについては当初とは違う思いがある。
「ビッグイシューに来た頃はお金をためて早く再就職しようと思っていたけど、ある人に『再就職することだけが自立の道じゃないんじゃないか』と言われて。そもそも社会に順応できなくて路上生活になったわけだから、今すぐ社会に復帰できる状況になってもうまくやれるかどうか自信がない。だから、今は雑誌の売り上げで家賃や光熱費を払える生活になるのが目標。消極的だと言われるかもしれないけど、そういう自立の仕方もあると思いたい」
最後に、人生を振り返って思うことは?との問いには、しばらく考えて、こう答えた。
「前向きにはなったかな。売り上げは1日ごとに変わる。昨日がよく売れても、今日はぜんぜん売れないこともある。以前なら、すぐに落ち込んで『今日はもうやめや』と帰ったこともあったけど、悪いことがあれば、きっといいこともあると今は思える。そしたら、なんでかわからないけど、本当に雑誌が売れ始めたりするんですよね」

(写真キャプション)
阪急蛍池駅の改札外

(写真クレジット)
Photo:木下良洋

※掲載内容は取材当時のもののため、現在と異なる場合があります。

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