販売者に会いにゆく (旧・今月の人)

今月の人 OB編 合原知幸さん

「元に戻らないぞ!」と自分に言い聞かせている部分も。何が正解かはわからない。今は前を向いて生きたい 資格やスキルアップも考えていけたら

今月の人 OB編 合原知幸さん

福岡の大丸前で販売していた合原(ごうはら)知幸さん(48歳)が、ビッグイシューを卒業したのは3年前。地元サポーターの後押しを受けて本格的に就職活動を始めたのがきっかけだったが、社会復帰への道のりは決して簡単ではなかった。半年がかりでようやく大手スーパーの品出し業務の職を得るも、会社都合により約1年半で失職。失業保険をもらいながら再び職探しを始めたが見つからず、あわや3度目のホームレス生活かという目前で採用されたのが現在の富山の工場勤務だった。
「履歴書にビッグイシューの経歴を書いたことも職がなかなか見つからなかった理由の一つでしたが、そこは自分の中で譲れなかったというか、ホームレスだけどちゃんと仕事をしていたんだ!というプライドがありました。本当は雑誌を売りながら社会復帰するのが理想だったけど、売れ行きはどうしても月ごとの波があるから難しかったし、九州で骨をうずめたいとも思っていたけど、最後はなりふりかまわずでした」
北九州市に生まれ、一度は東京で正社員の職に就くも人間関係でつまずき、以降は期間工や警備員の職を転々とする人生だった。35歳の時に名古屋で初めて路上生活を経験し、北九州の実家に身を寄せてニート生活を送っていたこともあったが、それもいよいよ難しくなってビッグイシューに。販売者生活は3年3ヵ月に及び、食べるだけならどうにか生きていく術は身に着けた。が、それでも社会復帰を目指して一念発起したのは、やはり“人間らしい生活”がしたかったからだ。
「毎月決まった給料が入って、家賃や社会保険料もちゃんと払える生活は、やっぱり違いますよね。たとえネットカフェやドヤで寝ることができても熟睡できていないし、常に神経が張っているから、物の考え方もちょっと普通じゃなかったなって今なら思える。こうしなきゃいけないとか、ああしなきゃいけないとか頑固になって、そんなことなかったのに、なって」
現在は富山の半導体工場で派遣社員として働き、昨年には派遣元の昇格試験に合格。晴れて無期雇用派遣となり、将来の生活安定とともに会社からはスキルアップを求められる日々だが、ビッグイシューで得たものも大きかったと話す。
「結局、派遣会社は人間の集まりで、今の職場もベトナム人がたくさんいて、立場上、コミュニケーションがとても重要だけど、そこはビッグイシューの販売で老若男女の幅広い層と会話していた経験が生かされていて、僕の財産ですね。もともと自分は接客なんてできない黙々と仕事するタイプでしたから」
そんなビッグイシューへの恩返しも込めて、昨年には基金の「にっこり応援会員」となり、今年は2度にわたり大阪事務所も訪れた。1度目は5月に開催された基金の街歩きクラブ「歩こう会」(※)に参加するためで、2度目は大阪観光を兼ねて事務所を訪れ、ボランティアで雑誌の発送作業を手伝った。「卒業後も何かかかわりたいと思っていて、ちょうど休みのタイミングが合ったので富山から駆けつけたのですが、特に歩こう会はいろんな人がフラットに混ざり合ってる感じで、すごく楽しかったですね」
9人兄弟で育ったこともあり、街並みや人の集まる場所が好きという合原さん。人が閑散としている富山では外に出かける気にもならず、黙々と仕事をしていただけに大阪観光はいい気晴らしになったようだが、合原さんはこんなふうにも話してくれた。
「時々ね、ビッグイシューにいた頃と今の生活とどっちが幸せなのかなって思うことがあるんです。だって街頭じゃあいろんな人が話しかけてくれて、『ありがとう』って感謝されるわけだから。話す相手がいるのは大事なこと。僕自身、こうやってにっこり会員になったり、ボランティアしてサポート側に回っているのも、恩返しの意味はもちろんだけど、心のどこかで『元に戻らないぞ! 今は前を向いて生きよう』と自分に言い聞かせている部分もあるんです。だから、何が正解かはわからない。毎日の仕事でしっかり生活できていることが今の生きがいだから、これを続けて将来に向けて資格やスキルアップも考えていけたらなと思っています」

Photo:BI

※338号にレポートを掲載

※掲載内容は取材当時のもののため、現在と異なる場合があります。

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