販売者に会いにゆく (旧・今月の人)

岩村弘幸さん

何度目かのビッグイシュー復帰。 これから、誰かと共に生きる人生を 歩んでみたいと思うようになった

岩村弘幸さん

大阪の阪急・豊中駅で販売する岩村弘幸さん(36歳)の朝は早い。寝床のネットカフェを出て、5時の始発電車に乗り、豊中駅に着くのは5時17分。そこから雑誌販売のセッティングをして、一息入れたあと、5時45分頃には売り場に立ち始める。日の出が遅い冬場だと辺りはまだ暗く、駅前でも人影はまばら。なによりこの冬は氷点下の冷え込みに幾度となく身を凍らせたが、早朝の販売は自身で決めた日課だという。
「移動の荷物が多いので、朝のラッシュの電車を避けて早めに通勤しているのですが、6時過ぎぐらいから雑誌を買いに来るお客さんもいますから。僕なりのこだわりです」
販売時間は、休憩をはさみながら午後3時45分頃までの10時間。長い時は、午後9時前まで販売することもある。1日の販売数は、平均十数冊。手作りのメモ帳には1時間単位で売れた冊数が几帳面に記録されているが、朝から夕方頃までまんべんなく数字が並ぶ。
「昔は新号が出た初日にお客さんが集中していたけど、今はお客さんものんびり買いに来るので1日の時間がゆっくり流れる。販売のコツは、ひたすら立ち続けることかな。昔に比べたら、根気よく長く売り場に立てるようになりました」
まだ若い岩村さんは、幼少時に患った水頭症の後遺症から左足が少し不自由で、今も歩くと左足が遅れてついてくる。生活保護の家庭に育ち、養護学校を経て、地元のスーパーに就職したまでは良かったが、その後は職を転々として20代前半でホームレスを経験。26歳の時に販売者となってからは、東京と大阪を行き来しながら、職を求めてビッグイシューを離れてはまた舞い戻るという生活を続けてきた。
「父親は16歳で大阪に出てきて大工になったような人。だから、『大の大人が実家にいるのは恥ずかしい』という考え方で、家にはいられなかった。そのことを『かわいそうだ』と言ってくれる人もいれば、『もっともだ』という人もいるかもしれないし、僕にはよくわからない。ただ、仕事と路上を行ったり来たりするこの生活は、最初はしんどかったけど、もう慣れました」
初めて街頭に立ってから約10年。これまで多くの売り場を経験し、今やビッグイシューではベテランの域だ。生活の安定にはまだまだ遠いが、日々の食事代と宿泊代を賄えるビッグイシューの仕事があって、本当に困った時には相談できる人もいるということが岩村さんの支えになっているという。
「一昨年からビッグイシューに復帰して、もう何度目の復帰かわからないぐらいで、スタッフには『またか』って思われているかもしれないけど、何があっても最後はビッグイシューの仕事があると思える安心感は大きかった。ただ欲を言えば、もう少しだけ雑誌が多く売れてくれればいいんだけど」と笑う。
また、最近は目標もひとつできた。これまでは自分の生活だけで精いっぱいだったが、ある出会いをきっかけに、これからは誰かと共に生きる人生を歩んでみたいと思うようになったのだ。
「今のこんな状態の僕が言えることではないけど、以前から家族へのあこがれはあったのですが、最近、その思いを強くする出会いがあって、いつかは信頼しあえる人と一緒に暮らせるようになりたいなぁと考えるようになったんです。これまでは特にやりたい仕事があるわけでもなかったし、その日暮らしの生活でしたが、自分以外の誰かという存在ができると、日々の生活にも張り合いが出て、もっとがんばって雑誌を売らなあかんと思えるような気がしています」

(写真キャプション)
阪急電鉄「豊中駅」5番出口付近にて

(写真クレジット)
Photos:木下良洋

※掲載内容は取材当時のもののため、現在と異なる場合があります。

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