販売者に会いにゆく (旧・今月の人)

吉富卓爾さん

この雑誌を売っていると、自分は生きているぞ!という証明になるような気がしている

吉富卓爾さん

「夏の日差しはね、慣れればそれほどでもない。むしろキツイのはアスファルトの照り返しで、気づいたらいつも下半身が汗でビショ濡れ。フライパンの上で雑誌を売っているようなもんだね」
気温35度を超える炎天下、真っ黒に日焼けした顔でそう語るのは吉富卓爾さん(47歳)。東京や大阪でいくつもの売り場経験があるベテランで、6月からは大阪・淀屋橋の大阪市役所付近で新たに販売を始めた。売り場には朝7時に出勤。休憩をはさんで夜まで立ち続け、客層の分析や雑誌の内容を伝えるお手製のポップを作るなど売り方の工夫にも余念がない。明るく話好きの性格も手伝って、販売者を代表してメディア取材やイベント対応を任されることも多く、今やビッグイシューの広告塔的存在だ。
「顔出しと名前出しをOKにしたこともあって、この1、2ヵ月はテレビや雑誌の取材が5本も集中して参っちゃったけど、もう僕にはビッグイシューしか残されていないから。自分にできることは協力しようと思っているんです」
最初に販売者として路上に立ったのは08年。東京・曙橋の売り場がスタートだった。以来、足かけ9年の間で3度ビッグイシューのもとを去った。ある時は農地で働くため、またある時は別の居場所を求めて行方をくらまし、アルミや古紙回収の仕事などで生活を凌いだ。出戻るたびにスタッフや販売者仲間は、さして問い詰めるでもなく歓迎してくれることに家族のようなものを感じたが、昨年の4度目の販売者登録の際には違った思いも去来した。
「リヤカー引きで足を痛めてどこにも行くところがなかったこともあるけど、販売者仲間に戻ってきてほしいと言われたのが大きかった。本来、ビッグイシューは卒業して社会復帰していくのが筋だけど、自分も含め販売者の中には高齢であったり、障害を持っていたりして、どうしてもここに留まらざるを得ない人もいる。そういう人たちがこの仕事に幻滅することなく、希望を持って雑誌を売って、販売者として社会に存在していけるような雰囲気づくりに自分も貢献できれば」という。
5月には、個人的な節目もあった。神奈川に住む従姉から父の死を知らされたのだ。実家は九州の離島で、代々続く家督を継いだ父は厳しい人だった。閉鎖的な地域の目も吉富さんには息苦しく、長男でありながらたびたび家を飛び出して都会で働いては連れ戻された。故郷で農業経営に失敗して実家を後にした35歳からは一度も戻っていないが、父が生前、ビッグイシュー販売者として働く吉富さんをテレビで見て、「こんな風にやっているなら、いいじゃないか」と漏らしていたと聞かされた。
「母の死を知らされた時は涙が出たけど、今回は悲しくはなかった。ただ虚しくて、気づいたら売り場でひとりブツブツ呟いていました。『これでいいよな』『無理に自立を目指さなくても、この仕事で自立すればいいじゃろ』って。自分の知る父は、常に地域奉仕とボランティアの人だったから」
現在、吉富さんは1日約20冊の雑誌を販売。ステップハウス(※)に住み、生活上の不安はないという。ただ、雑誌の新刊発売日だけは今でも心配で不安になる。
「僕は、ビッグイシューをやる前は希望を失っていて、自分の人生はこんなもんだという生き方をしていたんです。仕事というのはおもしろくないもので、我慢して稼ぐものだと思っていたけど、初めて路上に立った時、女性スタッフに褒められてね。『吉富さん、笑顔がいいですね!』『もう4冊も売れて、すごいじゃないですか!』って。都会に出てきて初めての体験だった。この雑誌を売っていると、自分は生きているぞ!という証明になるような気がしているんです」

※ 家主のご厚意によって、安価に利用できる空き家を確保。NPO法人ビッグイシュー基金がこれを利用者に貸し、この利用料の半分以上を積み立て、自立資金の一部として退去時に支払われる。

(写真キャプション)
淀屋橋北詰にて

(写真クレジット)
Photos: 木下良洋

※掲載内容は取材当時のもののため、現在と異なる場合があります。

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