今月の人

荒井悠さん

お客さんの存在が、今日を生きる僕の力。 自立することで恩返ししたい

荒井悠さん

※荒井さんは、取材後に仕事が決まり、本誌掲載前に卒業されました
 人通りの激しい新宿駅南口。改札を出てすぐの路上が荒井悠(25歳)さんの販売場所だ。
よほどの悪天候でないかぎりは、朝の8時半から夕方の4時か5時まで販売をしている。
「南口で販売を始めたのは、3月半ばからなのですが、ここに立っていると、わりと頻繁にスカウトの声がかかるんです」と荒井さんは言う。といっても、モデルや芸能人への誘いではない。ある時は会社の社長だと名乗る人物、別の時は働き手を探しているという人物が「お兄さん、ガタイがいいからうちで働かない?」と誘ってくるのだという。
 長身でがっちりとしており、人好きのする雰囲気を持つ荒井さんを見ていると、そのような誘いがあってもおかしくはないなと、思ってしまう。だが、荒井さんはそういった誘いには乗らない。「今は何よりもビッグイシューの仕事が好きだから」。そう言って笑顔で答えてくれた。
 新潟県出身の荒井さんは両親と妹、弟の5人家族だったが、荒井さんが小学1年の時に父親が借金をつくって家を出ていき両親は離婚した。その後は、バレエダンス教室の講師をしていた母親によって育てられる。
「父親はあまり家にいなかったので、どんな顔だったかも覚えてないし、家族でどこかに出かけた思い出も特にないんです。だからというわけではないんですが、家族のことはあまり好きになれませんでした。とにかく、早く家を出たいと思っていました」
 高校に入学すると、アパートを借りて一人暮らしを始めた。学費だけは母親に出してもらったが、それ以外の生活費はアルバイトをしてすべて自分で賄った。「バイトをしないと、家賃も払えないし、ご飯も食べられないので、いつも生活に追われていて気が抜けませんでした」と振り返る。
 卒業すると、アルバイトをしていた居酒屋に正社員として就職。ある時、防水会社の社長をしている店の常連さんに、「うちに来ないか」と誘われた。「もっと稼げるようになりたい」と、22歳まで4年間働いた居酒屋を辞めて転職した。
 ところが、転職して2年経った昨年の8月。会社に行くと、いきなり倒産を告げられた。心の準備をする間もない突然の失業に荒井さんは大きな衝撃を受ける。「今までずっとがんばってきて、積み上げてきたものが一瞬にして全部なくなってしまった」。そう感じた。そして人間不信に陥り、自暴自棄になってお酒に逃げた。
「全部がどうでもよくなってしまっていました。当時、いずれ結婚しようと思ってつき合っていた彼女がいたんですが、ケンカばかりするようになって、見限られてしまった。今思えば、彼女が逃げたくなってしまったのも仕方がないのかな、と思います。それくらい荒れていましたから」
 倒産を経験してから2ヵ月後、仕事を探すか、見つからずに野垂れ死にするか、半々の気持ちで上京した。東京での生活は、ネットカフェに泊まりながら仕事探しをするという日々。しかし、検索はするものの、実際には動き出せないまま、時間だけが過ぎていった。
 上京して2ヵ月後の1月の半ばには、お金が底をつき路上生活に入る。もはや、その日食べるもののことしか考えられなくなって、炊き出しをしている場所を転々とした。
 それでも、いつもご飯が食べられるわけではない。そこで以前ネットで検索して知っていたビッグイシューの事務所を訪ねた。路上生活を始めて2ヵ月後のことだった。
「ビッグイシューの販売者になって一番変わったのは、人が好きになったことです。お客さんから『がんばってね』と声をかけてもらったり、差し入れをいただいたり、最新号が出るたびに買いに来てくださったりする。お客さんがあったかいから、変わることができたんです。それまでは、人のことを心から信用することができなかったから。だからいずれは、やりたい仕事を見つけてビッグイシューを卒業すること。それがお客さんに対して僕なりにできる恩返しだと思っています」

※掲載内容は取材当時のもののため、現在と異なる場合があります。

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