販売者に会いにゆく (旧・今月の人)

『アイルランド・ビッグイシュー』販売者、ジャック・ライアン

いつも心に浮かぶのは、 雑誌を買ってくれる人たちへの感謝の言葉だ

『アイルランド・ビッグイシュー』販売者、ジャック・ライアン

 僕の名前はジャック・ライアン。初めてリバプールのビッグイシューで働くようになったのは、1997年のこと。ご存じの通り、仕事はストリートで雑誌を販売することだ。当時、リバプールの街で雑誌を売っているアイルランド人は、僕だけではなかった。私は、イングランドでビッグイシューを販売する「屈強なアイルランド人派遣部隊」の一人だったというわけだ。今はアイルランドのダブリンでビッグイシューを販売している。
 僕が初めてホームレスになったのは、16歳の時だった。父が亡くなり、母が家に戻ってきて面倒を見てくれるようになった。両親は何年も別居していて、それまでは、父が僕と弟トムの面倒を見てくれていたんだ。
 だが、アルコール依存性の母には、公営住宅の家賃でさえ重荷で、僕たちがホームレス状態に陥るのに、そう時間はかからなかった。そして、僕までアルコールに手を出し、ついには母同様、依存症になるしかなかった。かわいそうな弟も、家を出てからは、ゴールウェイの街で悪夢のような人生を生きていたが、僕も母のパートナーから日常的に虐待を受けていた。
 17歳から21歳までは、ホームレス状態の人たちのために宿泊所の提供などを行っているダブリン・シモン・コミュニティに住んだ。そして23歳で、結婚もしたんだよ。子どもも授かったが、10年余の時を経て、結婚生活は突如終わりを告げた。そして、36歳の時に、人生で2度目のホームレス生活が始まったんだ。
 初めてビッグイシューに出合ったのは、96年のリバプール。40歳代には、ヘロイン依存症になっていた僕は、当時は公園で野宿して暮らしていた。
 シールストリートにある簡易宿泊所でビッグイシューのことを知ると、最初から、スタッフのみんなが僕を助けてくれた。「マザー・テレサ」とあだ名のついたシスターのもと、チャリティ事業を手伝っているボランティアの人たちが、僕の世話をし、時間をかけてついにはヘロインも止めることができた。元の健康な身体を取り戻すことができたんだ!
 その間もビッグイシューは、仕事を回してくれて、僕を支えてくれた。カウンセラーもつけてくれてね。本当に、彼らがいなかったら、僕は今頃自ら命を絶っていたことだろう。
 99年にアイルランドに戻り、2?3年は真面目でクリーンなままだった。だが、03年、弟のトムが自殺。そして、彼の死の直後から、僕の依存症がまた始まった。
 でも、今は、アルコールはたしなむ程度に抑えられている。イングランドでもアイルランドでも、この雑誌販売の仕事は、僕にとってはホームレス状態から立ち直る上で大きな1歩だった。これがなかったら、僕はとうの昔に自分を見失っていただろう。
 残念ながら、今は体調がよくない。でもよくなったら、ビッグイシューのメンバーと一緒に地元のホステルを訪問し、もっと多くのアイルランド人がビッグイシューを読んでくれるよう、話すつもりなんだ。また、ホームレスの人たちにも、自分のショートストーリーや詩、意見を書いてビッグイシューに送るよう勧めるつもりだ。雑誌のファンを増やすための提案やアイディアがいっぱい浮かんでくるよ。そして、いつも心に浮かぶのは、雑誌を買ってくれる人たちへの感謝の言葉だ。

インタビューから数ヵ月後、アイルランド・ビッグイシューは、ジャックの家族から次のような手紙を受け取った。 ージャックの思い出にー

「私はダブリンに住むフィントン・ライアンと申します。ビッグイシュー販売者のジャック・ライアンのことでお知らせします。彼は雑誌の販売が大好きでした。1度彼の記事が雑誌に掲載されたこともあります。彼は12月18日に亡くなりました。彼を支えてくださったみなさまにお礼を申し上げます。彼は家族と再び行き来するようになり、最後の2?3日間は、家族全員と一緒に過ごすことができました。私は彼の息子です。ビッグイシューは彼にとってとても大切で、おかげで彼は日々を生きのびることができました。ありがとうございました」 
フィントン・ライアン
ダブリンにて

※掲載内容は取材当時のもののため、現在と異なる場合があります。

この記事が掲載されている BIG ISSUE

264 号(2015/06/01発売) SOLD OUT

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