販売者に会いにゆく (旧・今月の人)

高橋博さん

体力が続く間は、 販売も野球部も、がんばるで

高橋博さん

身長180センチ。そのガッチリとした体格を活かし、ビッグイシュー野球部では司令塔でもあるキャッチャーを務める高橋博さん(62歳)。「20代の頃、職場の草野球チームでずっと野球をしててなあ。こないだの高校生との試合は惜しくもビッグイシューチームが負けてしもたけど、ものすごく楽しかったわ」と顔をほころばせる。 販売者となって約半年。持ち場であるJR大阪駅・桜橋口までは、月決めで借りている西成のドヤから自転車で40分ほどかけて通っている。
生まれも育ちも大阪市。3人兄弟の末っ子で、「元気だけが取りえやった」と子ども時代を振り返る。高校時代はラグビー部員で、ポジションはフォワード。昔からスポーツは大好きだったそうだ。高校卒業後は公務員になり、辞めることになるとはつゆも思わず一所懸命に働いた。ところが、45歳の時に知人の借金の保証人になったことで人生が大きく狂ってしまう。「取り立てが職場まで来るようになってしもてね。もうそこでは働きにくい雰囲気になってしまったんや」
公務員として27年間働いたことで得た退職金も、借金の返済や家族への支援などで消えてしまった。そして、とにかく働かねばと始めたのは建築現場での日雇い仕事。「その頃はまだバブルが弾ける前で、日当もそれなりの額をもらえてた。でもバブル後は一気に給料が下がってしもた。それでもほかに仕事がないから58歳までは続けてたんやけど、そのうち年齢的にももう雇ってもらえなくなってねえ」
ほかに仕事も見つからず、しばらくすると路上での生活が始まった。「不安でいっぱいやし、冬は寒さで死にそうやった。実家には兄のお嫁さんも住んでいるし、迷惑もかけられへんしね。そのうち、通帳や免許証、年金手帳を入れていた鞄も盗まれてしまって……」
毎日、近場の炊き出しでお腹を満たし、月に1、2回は図書館に通って時間をつぶした。「誰かと話すのは、路上で出会う同じホームレス状態の人と、炊き出しの場所やダンボールがもらえる場所について情報を交わすぐらい。そんな孤独もつらかったねえ」
ある日、炊き出しに並んでいる時にビッグイシューのビラを手にし、その場にいた2人と一緒に事務所へ向かう。「僕はまったくやる気なかってんけどね。その2人になんとなくついて行っただけやのに、今でも販売者をしてるんは僕だけや(笑)」
当初はあまり売れない日も続き、いつ辞めようかとそればかり考えていた時期もあったという。「客商売は初めてやし、コツをつかむまでが長かった。でも、とにかくビッグイシューを何冊か売れば食べるものの心配はしなくてすむ。そう思うだけで心に少し余裕が生まれた。去年の8月からは創刊10周年のマスコミ報道が増えたことで売れ行きも安定しはじめたし、がんばってと声かけてくれたり、ミッフィーの表紙を見て走り寄ってきてくれる子どももいたりしてね。気がついたらお客さんとの距離もずいぶんと縮まっていて、辞められなくなってしもてた」と高橋さんは笑う。
この夏に年金受給手続きを行い、10月からは月3万円のドヤで眠れるようになった。
「何時でも眠れて、雨の日もいられる場所ができて、ほんまにホッとした。このドヤの管理人さんはな、僕が路上生活をしてた時にずっとコーヒーを差し入れてくれてた人。初めて年金を受給した日、せめてものお礼にと思ってタバコを1カートン買ってプレゼントしたんや。いつかアパートを借りたいと思ってるけど、このドヤにも恩返しのつもりでしばらくはいようと思ってるねん」
年金受給が始まってある程度の収入のめどはついたものの、ビッグイシューの販売はこれからも続けていきたいと高橋さんは考えている。
「販売者になる前はしゃべる相手もほとんどおらんかったけど、今は販売者仲間やお客さんたちと話せることがうれしいし、気が滅入っていても元気になれる。体力が続く間は、販売を続けていくつもり。野球部も、ボールを投げられるうちは、がんばるで」

※掲載内容は取材当時のもののため、現在と異なる場合があります。

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