販売者に会いにゆく (旧・今月の人)

井上圭一さん

『ビッグイシュー』に興味をもってもらうために 独自の販売方法を生み出す

井上圭一さん

「簡単に言っちゃえばさ。28歳までフリーターしてから会社勤めしたけど、リーマンショックの影響で今ここにいるって感じになるかな」
やや自嘲的に、半生をそう要約してみせた井上圭一さん(50歳)。小学生でビートルズにハマった早熟なロック少年が大学進学を機に九州から上京を果たし、友人宅を転々とした20代を経て正社員や契約社員として働きながらもホームレスへの道をたどることになった半世紀あまりを、およそ2時間半にわたって話してくれた後のことだった。
JR山手線の高田馬場駅前に立つ井上さん。梅雨入りごろに販売場所を今の売り場へと移す以前は、表参道の売り場で記録的な販売数をあげた販売者だ。
「表参道には20代の頃から出入りしていたし、好きな街だから。最初に浜松町とかいくつか場所を言われたんだけど、表参道って聞いたとたんに『はい! そこにします!』って」
昨年11月に事務所を初めて訪れたとき、井上さんの所持金はわずか400円だった。「『好きなように飯が食いたい』って始める人も多いみたいだけど、自分の場合は『風呂入りたい』『ひげそりたい』だったんだ」。井上さんにとって一番大切なのは、身なりに気を遣えることだった。だが、販売者を始めた当初は、着る服を選ぶ余地もない。「初めの頃は汚い格好をしていたし、『ああ、同情で買ってくれているんだな』と思った」
最初の1~2ヵ月は、あまり何も考えなくても売れていった。タイミングよく、表参道に集う若者層が好む人物の表紙が続いたこともある。「売り始めた号の表紙がティム・バートンで、次が奈良美智だったから、一気に貯金ができた」。その貯金を仕入れに回して、売れる冊数を増やした井上さん。
だが、年が明けてから思うように売れない日も増えていった。それとほぼ同時期に、衣類の提供があることを販売者仲間から教えてもらう。「身体が小さいから最初はサイズが合うものがなかった。けれど、毎日見ているうちに『これならもう少し暖かくなってから着られるな』とか」。仲間に服を見立てることもある。「こぎれいにするようになってから、同じ場所に立っていても近づいてくる人が変わった」というのは、井上さんの実感。表参道の交差点は、原宿のファッションと青山のセレブ文化の入り混じるポイント。おしゃれに気遣う人が集まるエリアならではの特徴だ。
そんな街並みで、井上さんはどうやったら売れるかを考えるようになる。ポップも作ってみた。バックナンバーの表紙もいろいろ見せてみた。立ち読みができる仕組みも試してみた。観光客など一見さんも多いさまざまな通行人が、どうやったら『ビッグイシュー』に興味をもってくれるのか……。やがて井上さんは自分の服装によって声をかけてくる人の系統が違うことに気づき、独自の販売方法を生み出すことになる。「白いポロシャツなどシンプルな服装の時には、脱原発や自然エネルギーの号が売れる。ロックアーティストのステッカーをつけたシャツだと、BON JOVIが表紙の号なんかが売れるんだ」。売りたい号への注目を集めるために、自分の身なりを利用するようになった。「事務所が薦めるバックナンバーじゃなくて、自分の嗅覚で表参道の人に合いそうな号を仕入れてバンバン売る。カミングアウトとか、薬物依存とか、こんなに売っている人は他にあんまりいないよ?」。次第に、「何売ってるの?」と若い人が声をかけてくるようになった。
現在は、ゲストハウスに寝泊まりしながら高田馬場に通う毎日。「今後の目標は、まずは売り上げを安定させること」という。「表参道だったから半年続けられたところはある」と胸を張るほど大好きだった場所から現在の場所へと移ったのも、売り上げの安定を目指してのこと。屋根のない表参道の売り場では、雨の日には他の売り場に出向くしかなかった。梅雨入りしたころにたまたま立った高田馬場で好感触を得たのがきっかけで、井上さんは売り場を変えることにした。場所を変えても、人によってオススメの号を変えるなどの試行錯誤を重ねている。午前8時から午後5時頃まで、JR山手線の高田馬場駅・早稲田口に井上さんは毎日立っている。

※掲載内容は取材当時のもののため、現在と異なる場合があります。

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