販売者に会いにゆく (旧・今月の人)

チェコ『Novy Prostor』誌販売者 ジェルスラヴ・ゴットワルドさん

「今年の夏、子どもの頃から夢だった海を見に行くんだ!」

チェコ『Novy Prostor』誌販売者
ジェルスラヴ・ゴットワルドさん

美しい街並みに魅せられて、日本からの観光客も多い、チェコ共和国の首都・プラハ。ストリート・マガジン『Novy Prostor』の歴史は、1999年にさかのぼる。『ビッグイシュー』を英国で見かけたソーシャル・ワーカーのダーシャと友人ロバートが、「チェコでもこういう雑誌をつくりたい!」と、一念発起。3ヵ月をかけて、英国のビッグイシュー、オランダはアムステルダムの『Z!』、ユトレヒトの『ストラート・ニュース』、ハンガリーの『Flasztor』誌を回り、ノウハウを学んだ二人は、INSP(ストリート・ペーパーの国際ネットワーク)からも助成を受けて、記念すべき第1号を発売した。
プロのメディア関係者やソーシャル・ワーカーは100パーセント失敗すると言ったこの事業は、チェコのテレビニュースで紹介されたのをきっかけに急成長。現在、チェコ内の9都市で150人の販売者によって月1~2回、1万5千部ずつ販売されている。

03年からナメスティ・リパブリキ駅前で販売しているのが、ジェルスラヴ・ゴットワルド(29歳)だ。養母と叔母に育てられた彼は、庭師養成の学校を出て庭師として働いていたのだが、解雇されてしまう。以降、量販店テスコの倉庫係や警備員などで食いつないだ。
「当時、持病の薬を服薬していたんだけど、どうしても眠くなってしまう薬で……。しばらくは上司も大目に見ていてくれたんだけど、やはり見かねて辞めさせられたんだ」

自暴自棄になっていた彼は、けんかで相手にけがを負わせてしまい、20ヵ月もの間刑務所での暮らしを余儀なくされた。「叔母が面会に来てくれてね、たばこやコーヒーを差し入れしてくれたよ。ろくに人と話をしない生活だったから、1時間の対面時間なんてあっという間。会いに来てくれてうれしかったな」
出所後、街で見かけた『Novy Prostor』誌の販売者になるのに、それほど時間はかからなかった。「刑務所を出てから、どこにも行き場所がない僕を受け入れてくれたんだ。今では生活するのに必要最低限な物を買えるお金はある。この雑誌があるから、街角で紙コップをもって物乞いをせずにすんでいるんだよ」

路上で一日中立っていると、いろんな事件と遭遇すると語るジェルスラヴ。「ある日、突然女性が僕に近づいてきて、平手打ちを食らわせたんだ。あまりに唐突なことだったので、何も言うことすらできなかった。数日後に僕のもとに戻ってきた彼女はこう言ったんだ。『ごめんなさい、あの日仕事で嫌なことがあって、むしゃくしゃしていたの』って」
一方で、こんなうれしい出来事もあったという。「映画学校に通う学生と1年ぐらいかけて仲よくなったんだけど、僕の映画をつくってくれてね。街の映画館で上映されると好評で、賞も取ったって聞いたよ」

創刊当初は、89年のビロード革命以降の急速な社会の変化からふり落とされてしまった人々が大半を占め、50代以上の販売者が多かったが、08年の世界経済危機以降20~30代の販売者も増えてきた『Novy Prostor』。ひところは、「ホームレスは働きたがらない怠け者」という自己責任論も世間で吹き荒れた。現在は長引く不況で、誰であっても「明日は我が身」という感覚が強いのか、販売者も路上で温かく受け入れられているようだ。

もう『Novy Prostor』では10年選手のジェルスラヴ。最後に、彼に夢を聞いてみた。「子どもの頃からずっと夢見てきたことがある。それは、海を見ることなんだよ。子どもの頃には、学校で友達からどれほど海がすばらしいものか聞かされていたし、最近でもテレビで海が映し出されると、目が釘づけになるよ。でも今年の夏、ついに、友人たちとともにクロアチアの海を見に行けそうなんだ!」と目を輝かせる。「だから、今の僕にとっては、家を探すことより海を見に行くことが大事なんだ。無事海を見ることができたら、家に住めるように、努力を惜しまないつもりだよ」

『Novy Prostor』
1冊の値段/40チェコ・コルナ(約190円)で、そのうち半分が販売者の収入に。
販売回数/月2回(冬期は月1回)
発行部数/1万5000部
販売場所/プラハ、ブルノなどの9都市

※掲載内容は取材当時のもののため、現在と異なる場合があります。

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