販売者に会いにゆく (旧・今月の人)

アムステルダム『Z!』誌販売者、パンチョさん

「普通であること」が 認められるオランダ。 これからもここで暮らしたい

アムステルダム『Z!』誌販売者、パンチョさん

オランダの首都、アムステルダム。人口の約半数は非オランダ人というだけあって、露店には世界各国の野菜がそろっていたり、一つ角を曲がるとエスニック料理の香りがしたりと、街並みからもさまざまな文化が垣間見える。
『Z!』は、この地で95年から販売されているストリートマガジン。同誌のコーディネーター、ユルン・デ・ローイさんは話す。「『Z!』の販売者のうち、オランダ国籍をもつ人が25%、残りの75%は移民です。その内訳は、約55%は欧州連合(EU)、25%が東欧諸国、15%が北アフリカ諸国(主にモロッコ、チュニジア、エジプト)、5%がその他の国々。移民の90%はいわゆる不法滞在者です」
アムステルダム東部は古くから移民色の強い地域だ。ブルガリア出身のパンチョさん(35歳)はそのイーストエンドにほど近いワーテルグラーフスメアー(Watergraafsmeer)地区、ヘルモルツ・ストリートにあるスーパーマーケット「アルバートヘイン」前で販売している。
「普通の生活がしたい、ただそれだけの思いでオランダに来たんだ」と話すパンチョさんが販売者となったのは、昨年の6月。半年間『Z!』販売をしたが、目に異常を感じたため、治療を兼ねて半年間ブルガリアに帰国。そして、今年の6月から再び『Z!』の販売者として復帰した。
「『Z!』を買う買わないにかかわらず、興味をもって話しかけてくれる人たちがいるおかげで、精神的に支援されているよ。以前の担当場所は大型複合施設の前だったんだけど、そこに父子連れが新しい自転車を買いにきて、古い自転車を僕にくれたのはうれしかったなぁ」
パンチョさんはブルガリアの黒海に面した有名なリゾート地、ポモリエで生まれたという。彼が2歳の時、父親が酒に溺れて愛人をつくり、家出。それから、数学の教師だった母親と、母一人子一人の生活が始まる。当時のブルガリアは、共産党による一党独裁制の社会主義国。1989年にベルリンの壁が崩壊するまで、その体制は続いた。
幼い頃からチェスが好きだったパンチョさんは、趣味がこうじて、子どもたちにチェスを教える仕事をしていた。だが、自宅から次々に物を盗まれる事件が発生。盗難は何度も繰り返された。たぶん知り合いの男性による犯行と見当もついていたのだが、警察もグルになっており、たまり兼ねて裁判を起こすことを決意。だが裁判所からは、その前に医師の診察が必要だと通告を受けた。
医者に行くと、そのまま精神科病院に3ヵ月半入院させられたというパンチョさん。退院後、再度裁判を起こそうとしたが、精神病患者には起訴する資格がないと裁判所に訴えを却下された。絶望したパンチョさんはこのことを契機に、故郷を離れる決意をしたという。
オランダに来てからはチェスの仕事を探すが見つからず、ナイトショップ(深夜営業の個人商店)で職を得るが、労働許可書がないという理由で解雇され、職を転々としていた。所持金が尽きた時、知人から『Z!』の話を聞き、今すぐ仕事を始めたいという思いで事務所を訪れた。「初めて『Z!』を販売しはじめた頃は、人からどう思われるのかがずっと気になっていたんだ。それに比べると、今はずいぶんリラックスして、『Z!』を売ることが誇りに思えるようになったよ」
「書くことが好きだから、将来はポモリエでの生活や交友関係から始まり、オランダに移住してからの生活や、ここで出会ったブルガリア移民たちの話も書きたいな。実はずっと書き溜めていたものがあったんだけど、この間、鞄を盗まれちゃって全部なくなっちゃったんだ。でも、僕の頭にはストーリーは残っているから大丈夫」といたずらっ子のように微笑む。
ブルガリア語、セルビア語、ポーランド語、チェコ語、英語、そしてブルガリアの社会主義国時代に必須だったというロシア語を巧みに話し、現在はオランダ語を学んでいるというパンチョさん。人と話をすることが何より楽しみで、休みの日は公園やカフェで見知らぬ人に声をかけてチェスをしているという。これからも、「普通であること」が認められるオランダで暮らしたいと笑顔で話してくれた。

『Z!』
1冊の値段/2ユーロ(約197円)、そのうち90セント(約88.7円)が販売者の収入に。
販売回数/2週間に1回
発行部数/1回につき1万2000部
販売場所/アムステルダム
http://www.zetkrant.nl/

※掲載内容は取材当時のもののため、現在と異なる場合があります。

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