販売者に会いにゆく (旧・今月の人)
販売者座談会〈前編〉
「年齢不問」「経験不問」枠150倍 就職活動中の生活費がネック ― 40代販売者、再就職を語る
梅雨時の夕暮れ、その日の販売を終えた40代の販売者さんに集まっていただき、再就職の難しさや仕事について、その胸の内をざっくばらんに語り合ってもらいました。
参加者‥Iさん、Kさん、Aさん
―最初に、これまでの仕事体験を教えてください。
Kさん 7年ほどファストフード業界で働いていたんですけど、収入的には恵まれてたかな。でも、稼ぐというのが第一になってしまい、結婚をしていたのに家庭を顧みない状態になっちゃって。1日25時間労働で、家に帰っても1時間ぐらいしたらシャワーを浴びてまた出ていくというような感じでしたね。気が張っていたし、高価な栄養ドリンクを飲んだりしながら、なんとか日々を過ごしていたというか。
Aさん 僕は高校卒業後、あまり苦労せずに就職が決まり、勤めてからも特に大きな問題もなく働いていましたね。精密機器の会社で18年ほど勤めたんだけど、不況で人員削減・業務縮小の波が襲ってきて、それを機に退職。その後は新聞販売店に勤めたんだけど、5年ほどして倒産しちゃって。自分で言うのもなんだけど、僕は一度勤めたら長続きするほう。もし、景気がよいままだったら、最初の会社にずっと勤めていたんだろうな。
Iさん 私は母の介護を機に仕事を辞めました。仕事がしんどいとか、リストラとか景気悪化とか、そういう理由があったわけじゃなかったんですよ。だから、それも自分で決めたことというか、自分で選んだ道だったというか。
Kさん 僕の場合、子どももいたし、家族を養わねばという気持ちが強く、それが責任かなと思ってた。でも結局お金だけではダメで、家庭も崩壊。離婚してからはお金にも執着がなくなって、働く理由も見失ってしまって……。ファストフード店を辞めたあとは、10年ほど大阪・西成にあるドヤのフロントで働いていたんだけど、震災後に仕事がなくなってね。ずっと働きづめだったから、今が一番精神的に落ち着いているかも。
―最近、就職活動しましたか?やりたい仕事はありますか?
Iさん うーん、まったくしてない。というか、まだそこまで動けないというのが実情かな。やってみたい仕事はねえ、ビッグイシュー日本代表(笑)。
それは冗談として、今、求人倍率1・0を超えている業種といえば、警備と清掃と介護ぐらい。でも介護は女性がほとんどで男性は難しいというし……。
Aさん 以前、東京で自立支援センターにいた時、僕は前職を活かした仕事を探していて、たまたまそういう仕事が見つかったからよかった。でも、大半の人は職種で迷うでしょうね。とにかく仕事を探さねばというプレッシャーに負けて、自分に合う、合わないに関係なく、どこでもいいから勤めようってなりがち。それに、年齢が高くなると仕事も選べない状態になってしまう。
Iさん そもそも仕事の絶対量も少ないしね。今、ハローワークで「年齢不問」「経験不問」という求人が出ると、1人採用の枠に150人の応募があるらしい。そうなるともう自分の適性や希望うんぬんじゃなく、募集のあるところに行くしかない。
でも、そもそもこの中で今、就職活動している人いませんよね。就職活動をするとなったら、2~3ヵ月分の生活費って絶対に必要ですやん? 雑誌売りながら就職活動はできないし。でも、それだけ貯めるのは正直、難しい。それに、それもすぐに仕事が見つかったとしての話。運よく就けた仕事がまたミス・マッチの可能性だってあるし……。
Kさん 僕は今年の初めに大阪西梅田の販売者共同経営店舗のメンバーとして働いて、その時に貯金が少しできたので、販売の仕事を少し休んで就職活動をしました。知人の紹介で面接を受けたんですが、条件的にも非常に厳しかったですね。経験のあるホテルのフロントの仕事も、昔の半分ぐらいのお給料で。
Iさん 住所がないと、ハローワークへ行っても難しいよね。応募はできても、多数の応募者の中で、住所のない人間は最初にふるい落とされてしまう。
Kさん かといって生活保護は受けたくないんですよね。必要な制度だと思いますが、僕自身は健康で働ける状態である以上、最低限のプライドというか。実際にこうやってビッグイシューの仕事もできるわけだし。
Aさん 今、こういう状態だから就職活動は難しい。日々稼いだお金で、食べていくことで精いっぱい。アパートに入って、数万円もの家賃を払うまでの道のりはまだまだ長いと感じるんです。リアリティーは……今のところ感じられないかな。
※掲載内容は取材当時のもののため、現在と異なる場合があります。
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特集文月。被災地からの手紙