販売者に会いにゆく (旧・今月の人)

小坂保行さん

「これからの人生にきっと宝になるいい経験してる」 今は終わりの局面じゃなくて、通過点なんだと思えた

小坂保行さん

小坂保行さん(44歳)の朝は、ビッグイシューの仕入れから始まる。金沢での雑誌卸し拠点「カトリック金沢教会・平和の会」に赴くと、その日の担当のボランティアさんが小坂さんを待つ。言葉を交わし、売り場である武蔵ヶ辻へ足を運ぶ。観光地として名高い兼六園から徒歩10分ほどということもあって、「観光客が買ってくださることも多いんですよ」と顔をほころばせる。
石川県内で生まれた小坂さんは、親の仕事の関係で県内を転々として育った。「父は、最終的には鉄工の工場を経営していましたが、アパートの管理人など、いろんな仕事をしてきたみたいです。引っ越すたびに生活の質が上がっていって、子どもながらに『お父さんすごいな』と感じていたのを覚えています」
高校卒業後は、地元の印刷会社に就職。数回転職はするものの、印刷業界で20年ほど順調に働いてきた。
だが、06年、脊髄梗塞症で3ヵ月入院した頃から、暮らしが揺らぎ始めた。入院中に当時借りていたアパートの家賃を払えなくなり、解約。退院した瞬間にホームレス状態になっていた。父は小坂さんが28歳の頃に亡くなっており、入院する1ヵ月ほど前には、高齢の母が老人ホームに入居するための資金作りのため、実家を売り払っていた。
退院後は、車で寝泊まりする日々が続く。「最初の頃は『何とかなるだろう。仕事もすぐ見つかるし、今だけだよ』と考えていましたね」と小坂さんは語る。ハローワークに通い、履歴書を送りつづけるものの、住所不定の身での就職活動は苦戦が続く。それでも、電話1本で指定された仕事場に赴く日払い制の「グッドウィル」や「フルキャスト」からの仕事でなんとか食いつないだ。
だが、ついに車検が切れて車を動かせなくなり、プリペイド携帯の料金を払えなくなった時点で、社会とのつながりが途絶えた。
08年になると、1週間に数回食べられるかどうかという日が続く。
「道端に落ちている唐揚げをカラスと奪い合うこともありました。08年から09年あたりは、いつあの世に行ってもおかしくない状態で、完璧にあきらめていましたね」
そんな絶望の日々に転機をもたらしたのが、公園でのある出会いだった。「その日の寝床に決めた公園で寝ていると、警官から職務質問を受けたんですよね」
「何をしている?」「ホームレスですよ」「誰かに相談はしたのか?」「そんなこと今までにかぎりなくやってきました。いまさらやっても無理だってわかってます」「このまま野垂れ死にするのか」「覚悟の上です」
しばしのやりとりの後、「ここで会ったのも何かの縁だろうから、もう一度私の言葉に従って、頼れるツテを探してみてほしい」と語って、警官は去った。「何かの縁って言われたらそれもそうかなと思って」、小坂さんは翌日、図書館で、「ホームレス、相談、金沢市」とパソコンに検索ワードを入れてみた。そこで検索にかかったのが、ホームレス状態の人のために夜回りをしている地元の議員で、連絡をとるとビッグイシューのことを教えてくれた。
「ビッグイシューの存在は、好きなOasisの『Supersonic』の歌詞に出てくることもあって知っていたのですが、金沢でも販売していることは知らなかった。すぐに、販売者になることを決めました」 そして、売り場に立ち始めて2年あまりの時が流れた。連絡の途絶えていた母とは、ビッグイシューの仕事を始めて軌道に乗り出してから老人ホームに会いに行った。
「はじめは、心配の種がまた来たよ、という感じだったのですが、帰りがけには『たまには連絡くらいよこさないと心配だよ』と言ってくれるようになりました」
「ビッグイシューを売るということが、自分にとっては余生、ボーナストラックのようなものだと思っていたんですが、最近お客さんに言われたんです。『あなたは今、ホームレスかもしれないけれど、これからの人生にきっと宝になるいい経験してるじゃない』って。それを聞いてから、今は終わりの局面じゃなくて、転換点や通過点なんだって、これからのことを考えるきっかけになったんですよね」
3年前までの日々には、「始まり」も「終わり」もなかった。でも、今小坂さんには、「おはよう」と1日の始まりを告げ、「おつかれさま」と1日をねぎらってくれる仲間がいる。

※掲載内容は取材当時のもののため、現在と異なる場合があります。

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