販売者に会いにゆく (旧・今月の人)
青木伸久さん
あとは上がるだけ。 貯金して、やりたい仕事に挑戦できる余裕をつくりたい
さまざまな人々が行き交う、渋谷・道玄坂2丁目交差点。若者の街として知られる渋谷においても、劇場や美術展スペースなどを備えたBunkamuraと老舗の百貨店・東急本店が並ぶ大人向けエリアの入り口に立っているのが、青木伸久さん(29歳)だ。労働力としての期待が一般的にも高い20代の青年が、なぜビッグイシューの販売者をしているのか?
「ネットカフェに泊まりながら、就職に関する情報集めはしています。ビッグイシューのことを知ったのも、ネットで仕事を探していた時でした」
青木さんは、昨年11月半ばに上京したばかり。ネットカフェで寝泊まりしながら、就職活動を展開していたのだという。「即面接・採用」をうたう求人を狙って応募を重ねたが、いい返事がもらえないでいるうちに資金が底をついてしまった。
「今晩中に仕事が見つからなければ、持ち金がなくなるという状況で、普段なら寝ている時間も必死になって仕事を探していました」
北海道・札幌出身の青木さんは、高校を卒業すると同時に名古屋近郊の自動車メーカー関連工場で派遣社員として勤め始めた。自動車の組み立てを続けること、実に9年。
「リーマンショックの前ぐらいから、求人が減っていって、残業も減って。そのうちに『あいつ昨日は来ていたのに今日はもういないな』と、人が減るようになりました。正直、『ヤバい』と思いました」
ついに青木さんも「次の更新はないから」と告げられてしまう。「他の工場でも仕事はありませんか?」と尋ねたが、「ない」とにべもない答えしか返ってこない。周辺にある工場はほとんどが同じメーカー関連なので「状況はどこも同じ」と悟った青木さんは「場所を変えるしかない」と、すべてを引き払って大阪へ出る。
「あてもなく行ったのですが、求人を見ているだけでも名古屋より仕事量が多かったです。すぐに紙製品の工場に決まりました」
ドヤのねぐらを拠点に、青木さんは従業員30人程度の町工場に契約社員として入社を果たす。順調に仕事も覚え、うまくいけば正社員への道も開かれるのではないかと思い始めた2年目に、会社の様子が変わってくる。午後3時頃に仕事が終わる日が続き、9月のある日、社長が全従業員を集めて「来月で潰れることになった。申し訳ない」と頭を下げた。10月半ばに会社が倒産し、青木さんは再び路頭に迷うことになる。
「また場所を変えるしかないかな。名古屋の工場もまだそれほど復活していないだろうから、東京だな」と、青木さんは高速バスで東京へ。上野公園ではちょっと目を離したすきに荷物を盗られるという手荒い歓迎を受け、身ひとつでネットカフェを転々とする日が始まる。
「手持ちが100円しかなかった12月9日の夜中に、ビッグイシューのことを知って。10日の朝に事務所へ電話をかけたら『11時から説明会がある』って言われたので、行ってその日のうちに販売を始めました。『なんでもいいからやろう』『やるしかない』という気持ちでしたね」
今は仕入れのために毎日のように事務所へ顔を出し、販売者仲間ともいろいろ話をしている青木さん。
「おつりをさっと出すにはポケットに用意しておけばいいとか、いろいろ教えてもらっています。2日で60冊売った話を聞くと『俺もやってやる』と思いますね! 物を売る仕事は初めてだけど、今は売るのを楽しんでいます。お客さんも、年配の人から女子高生まで幅広いです。常連さんになってくれる人も何人かいますし、イギリス人も買ってくれましたよ」
イギリス人のお客さんとの話のなかで、「イギリスでは高校生などもごく普通の雑誌を買うのと同じ感覚でビッグイシューを買っている」と聞いた青木さん。渋谷という場所がらもあるのだろうか、「もっと若い人が買ってくれるようにならないかなと思います」と、意欲を見せる。「自分がゲーム好きだからじゃないけど、秋葉原についてとか、偏見をもたれがちなことについてもっと特集してほしいとか、考えるようになりました」
渋谷や新宿のネットカフェで寝泊まりしながら、ビッグイシューを売りに立っている。人の動きが見え始める10時ぐらいから、手元が見える日没まで。
「2月21日で30歳になります。販売を続けながら貯金をして、自分のやりたい仕事に挑戦できる余裕をつくりたいと思っています。落ちるところまで落ちたので、あとは上がるだけですから」
※掲載内容は取材当時のもののため、現在と異なる場合があります。
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