販売者に会いにゆく (旧・今月の人)

ノルウェー『エルリック・オスロ』誌の販売者 ニルス・クリステ・ムーディン

ノルウェー『エルリック・オスロ』誌の販売者  ニルス・クリステ・ムーディン

ノルウェー・オスロのストリートマガジン『エルリック・オスロ』の販売者ニルス・クリステ・ムーディン(41歳)は、昨年のクリスマスを国王の住む宮殿で過ごした。『エルリック・オスロ』の活動に興味をもつこの国の王から招待されたのだ。
「国王にお会いした時は、本当にうれしかったよ。夢みたいだった。1時間ほど、自分の生い立ちやこれまでの人生を語ったんだ」と、ニルスは当時を思い出して、顔を紅潮させる。地元のテレビや新聞は、ニルスと王との対話をこぞって報道した。「報道を見た人たちが、販売場所に押し寄せて言うんだ。『あなたが王と会った男なのね』って」
ニルスは、これほど楽しいクリスマスを過ごしたことがない、と語る。父親の顔を知らず、施設で育ったニルス。その施設で年上の子どもたちに教わって、ヘロインを始めたのは12歳の時だった。
「初めてヘロインを体験した時は、『うぁー、こりゃすごい!』って思ったね。すぐにとりこになって、3週間もしたら依存症になっていた。それからは地獄だったね」
1日に最低3回はヘロインを摂取しないと禁断症状が出る。そして、1回に必要なヘロインに200ノルウェー・クローネ(約3千円)かかった。ヘロインを買うお金ほしさに犯罪に手を染めるしかなかった。
05年6月の『エルリック・オスロ』の創刊の時から販売者をしているというニルス。「『エルリック・オスロ』の販売者をする前は何をしていたの?」という問いに、彼はこう答えた。「僕はドラッグ依存症の犯罪者で、物乞いだったよ」。目の前にいるとても優しい目をしたニルスからは、その壮絶な過去は想像もつかない。
「物乞いだった時には、誰も僕に近寄ってこようとはしなかった。でも今じゃ、いろんな人がフレンドリーに僕に近寄ってきて、話しかけてくれる。もう犯罪に手を染めなくていいし、物乞いをしなくてもいいんだよ。こんなに素晴らしいことはないよね」
実際、ニルスの売り場にともに1時間弱も立っていると、4人のお客さんが訪れ、軽快に言葉を交わしながら雑誌を購入していく。白髪の上品そうな女性、工事現場の監督らしきおじさん、小さな子どもを連れたお母さん、学生風の男性と老若男女問わない。『エルリック・オスロ』は50ノルウェー・クローネ(約750円)と雑誌にしては高めの値段だが、ニルスによると、「読んですぐぽいっとゴミ箱行きではなくて、読み終えたら、みんな大切に本棚にしまってくれているんだよ」とのこと。
ニルスは、いまだにドラッグから抜け出せたわけではない。「まだきみがドラッグに手を出していないんだったら、絶対に手を出したらいけない。ドラッグとともにある人生は最悪だ。一度足を突っ込んだら抜け出せない。どうやったら抜け出せるのか、わからないんだよ」。そう言って、ニルスはその青みがかったグレーの目を曇らせる。
『エルリック・オスロ』では、現在アクティブに販売している販売者が約150人いるが、彼らのほとんどがドラッグ依存症の問題をかかえている。ヘロインを完全に断ち切るのが難しいことを知っているからこそ、『エルリック・オスロ』では、日常生活に支障がない程度なら、販売者の薬物の使用を認めているという。
その理由を、『エルリック・オスロ』の創設者の一人、クリスチャン・ロムスダレンは、こう説明する。「一度薬物に手を出したら、社会に復帰するのは気が遠くなるほど大変です。だから、彼らが社会に復帰できる状態になるまで待つのではなくて、まず社会に復帰してほしいんです。そして雑誌販売を通して自分も社会の役に立てるんだという自尊心を、まず取り戻してほしいんです」
創刊以来、毎日オスロの街頭に立っているというニルス。この仕事を通して徐々に自尊心を取り戻しつつある。そして、ここで得た人間関係が彼にはかけがえのないもののようだ。「僕は、みんなが当然もっている家族との絆というものをもっていません。だから、ここで知り合った仲間との友情はかけがえのないものなんです」
そう語る彼の夢は、「ドラッグから足を洗って、普通の人生を送ること」。その日が1日でも早くくることを夢見て、今日もニルスはオスロの青い空の下に立つ。

『エルリック・オスロ』
1冊の値段/50ノルウェー・クローネ(約750円)、そのうち25ノルウェー・クローネ(約375円)が販売者の収入に。
販売回数/05年6月の創刊号は3ヵ月間、第2号は2ヵ月間販売され、第3号から月1回刊。
発行部数/2万4千部
販売場所/オスロ

※掲載内容は取材当時のもののため、現在と異なる場合があります。

今月の人一覧