販売者に会いにゆく (旧・今月の人)

上原伸一さん

「ただいま」と言い合え、寝る前に少し、一日のことを話す時間。一人じゃない、と感じさせてくれる

上原伸一さん

「一人でごはんを食べてもおいしくない。ただ栄養補給してるようなもの」。こう話すのは、高田馬場駅・早稲田口で販売している沖縄出身の上原伸一さん(37歳)。

販売を始めたのは昨年の11月末。1月末に現在の場所に移ってから売り上げは順調に伸びていて、数日前には、仕入れた15冊が夕方までに完売したという。ただ、膝がわるい上原さんは強い痛み止めの薬を飲んでおり、夕方早めに販売を切り上げることもあるそうだ。「買ってくれる人は“がんばれ”って応援してくれてるんだと思う。早く仕事を見つけて、その気持ちに応えたい」と話す上原さん。

寝泊まりしているのは新宿にある公園で、北海道出身のNさんと、共同生活をしているという。年明けからしばらくは販売数が1日2~6冊に落ち込んだという上原さんが、うまく食いつないでこられた理由は、その見事な節約生活にあるようだ。

「基本的に1日1食か2食です。夜はご飯を炊いて、余ったらおにぎりにして朝食べる。おかずは、シシャモとかイワシとか一人百円くらいでやりくりして。最近はあまりに寒いので少しぜいたくに、野菜たっぷりのみそ汁をつけてます」

一日の生活費は、ほとんどこの食材費だけだという。ご飯におかずにみそ汁という手作りの食事。しかもガスコンロの調子が悪かった時は、七輪の炭火で作っていたという。「火をおこすのが面倒だけど、七輪で炊くご飯はおいしいんですよね」と笑う上原さん。「外で暮らしている人にとって何が“ごちそう”かといったら、湯気が出ているあったかいもの。ある時なんて、隣のベンチで700円の弁当を食べている人たちから、『そっちのほうがいい!』とうらやましがられました。同じ公園で俺たちほど豪勢な食事をしている人は、ほかにいないでしょう」と、二人は自負している。

上原さんは四人兄弟の二番目。幼い頃に両親が離婚し、弟二人とは離れて暮らした。23歳の頃に父が他界。今では家族の誰とも一切連絡をとっていないという。また、父が生まれた後、祖父は戦争で亡くなり、祖母が再婚したので、上原さんは親戚とのつながりも薄い。

高校を卒業する頃にバブルがはじけ、1年かけて見つけ出した就職先で「仕事がない」と言われた上原さんは、大阪に出た。「沖縄は失業率ナンバーワン。沖縄の経済は、ほとんど基地か観光かで成り立ってるんです。少なくとも俺がいた当時はそうだった」

性格が穏やかで人当たりがいいといわれる上原さんだが、「昔は違った」という。「若い頃にケンカ別れした兄弟とは17年間会っていません。大阪や東京で、いい人たちにたくさん出会ったおかげで開花された性格なんです」

大阪では、同じ警備会社で働いていた先輩との出会いがあったという。入社後1年で班長に抜擢された上原さんは、「部下はみんな年上で、天狗になっていた」。そんな上原さんの行く末を心配してくれていた先輩は、会社がつぶれた後、自分が新しい仕事先に行くのを延期してまで、上原さんのために仕事を探してくれたそうだ。

その数年後に出会ったのは、ホームレスの仲間たち。東京に来た当初、右も左もわからない上原さんに、生活していくうえで必要なことは何でも教えてくれたという。約1年半の路上生活の後、仕事が決まった上原さんが会いに行くと「君はまだ若い。自立できて本当によかった」と手放しで喜んでくれた。しかし一方で、「もうここへは来ないほうがいい」とも言い、やがて行方がわからなくなったそうだ。

そして、再びホームレスになって1年が過ぎた昨年9月頃、新宿で出会い、ビッグイシューを紹介してくれたのが、Nさんだった。
「俺は恩ばっかりもらって返してないんですよ。昔の仲間は『恩返しはいらない。その代わり、困ってる人がいたら、君が助けてあげなさい』と言ってくれた。だから、早くホームレスの生活から脱して、何か自分にできることで社会に貢献していきたい」

販売を始める前はよく泣いていたという上原さんにとって、Nさんの存在は「精神的にも大きな支え」なのだという。“ぶーちゃん”と話しかけてくれたり、「おはよう」や「ただいま」と言い合える。寝る前に少し、今日一日のことを話す時間がある。そんな小さなこと一つひとつが、“一人じゃない”と感じさせてくれるのだと、上原さんは言う。

「一人でいるとドカ食いしてしまう。Nさんと一緒で、それほど食べてない今のほうが、お腹いっぱいになったという気になるんです。不思議ですよね」

※掲載内容は取材当時のもののため、現在と異なる場合があります。

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