今月の人

内田晃さん

これまでお世話になった方々への恩返しに、 何かボランティアも始めたい

内田晃さん

昨年11月から、JR中野駅の北口でビッグイシューを売る内田晃さん(65歳)の1日は、ゴミ拾いから始まる。「いつもお世話になっている中野のみなさんにお返ししたい」との思いから始めたそうだ。それを終えると、平日は10時、土日は11時頃から夕方5時過ぎまで立ち続ける。

つい先日、若い男性が「110号」を値段と読みまちがえて110円払っていった。「若い子にはぜひ読んでほしいから、まあいいか」と何も言わずにいたら、1時間もしないうちに気がついて、残りの190円をわざわざ届けに来てくれた。

年末にはお餅を数人からいただいた。中には、のりやしょうゆまで添えてくれた人もいた。ビッグイシューの事務所に持って行き、仲間とありがたく味わった。正月明け、駅前で演説していた女性議員が「お正月はどうでしたか」と尋ねてきた。「本当は『いやあ、厳しいですね』と言ってほしかったんでしょうけど、私は思わず『温かくて、とってもいいお正月でした』と答えてしまいました」

内田さんの生まれは遠く離れた九州だが、物心つく頃には東京へ越してきた。家族は両親と兄が2人。末っ子だった。
「親父はパルプの会社をつくったり、金融業をやってみたりしていたようですが、私が学校へ通う頃にはもう働いていなかった。子どもに無関心で我が道を行く人でした。私が小さい頃に、おふくろは愛想を尽かして家を出ていきました。私も早く家を出たくて、何か技術を身につけようと調理師の専門学校に行きました」
卒業後はレストランでコックとして腕を振るった。若い頃は「新しい店に人手が足りないから来て」「今の店より給料を上げるよ」などと、引く手あまただった。ところが、ある時期からお声はかからなくなった。「材料も決められていて、誰もが簡単に調理できてしまうファミレスの台頭で、コックがいらなくなったんです」

30代も半ばを過ぎた頃、日雇いの世界に足を踏み入れた。コックをやめてホームレス状態だった内田さんに、仕事を斡旋する手配師が声をかけてきたのだ。大阪を中心に、ビルの建設や道路工事に携わった。「建築家の安藤忠雄さんがデザインした、アパレル会社ライカの旧・本社ビル建設にかかわったこともあります。そんな時は誇りを感じました」
以来、「日銭がもらえて気楽な日雇いの魅力」にとりつかれた。パチンコや競馬にもハマった。ここへ注ぎ込むためにも、毎日まとまったお金が手に入る日雇い仕事は好都合だった。一方で、現場は危険と隣り合わせでもあった。「伐採した竹が刺さって足を縫ったこともあるし、研磨に使う電動サンダーで足を切ったこともあります」。足を滑らせて、むき出しの鉄筋の上に落ち、命を落とした仲間もいた。

そして一昨年の暮れ、突然解雇を言い渡された。思い当たることはなく、年齢のせいではないかと内田さんは思っている。寝泊まりしていた飯場も追い出された。しばらく大阪をさまよった後、内田さんは仕事を求めて東京へ戻ってきた。その頃には宿泊するだけの所持金もなく、新宿駅の西口で寝た。「段ボールで周りを囲って、寒さをしのぎました。あれを発明した人はホームレスの救世主です。1枚あるのとないのでは天国と地獄ですから」

新宿区でホームレスを支援する相談所を通して仕事も探した。10社以上に応募したが、採用には至らなかった。そこで紹介されたのがビッグイシューだった。販売初日は不安だったが、立つなり3、4冊続けて売れた。「案外向いているかもしれない」と自信をつけた。今では1日30冊以上を確実に売り上げている。
「お客さんに支えられて、人の温かさを初めて知りました。でも本当は、私はそんなによくしてもらえる価値なんかない人間。みなさんの親切がもったいない、と心苦しく思うこともあります」。

実は、内田さんには2度の離婚歴がある。別れた子どもたちに、父親らしいことを何もしてやれなかったのが心残りなのだという。
「親父のようにはなりたくないと思いながらも、結局同じ道を歩んでしまった。子どもたちには会いたいけど、私からそんなことを言える立場にはありません」

お客さんの応援を得て、少し前から生活保護を受けられるようになった。住むアパートも決まったが、「おんぶに抱っこじゃ申しわけない。働いた分のお金を少しでも国に返していきたい」と考えて、ビッグイシューは今後も続けていくつもりだ。
「もし自力で生活できるようになったら、自転車で日本一周しながら、ビッグイシューを宣伝する旅をしてみたい。それから、これまでお世話になった方々への恩返しに、何かボランティアも始めたいですね」と、夢はふくらむ。

※掲載内容は取材当時のもののため、現在と異なる場合があります。

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