販売者に会いにゆく (旧・今月の人)

豊村光男さん

山あり谷ありの人生だけど、今まで見えなかったものが見えた気がする

豊村光男さん

大阪での販売実績を見込まれ、東京の販売開拓を買って出た豊村光男さんは、これまで新宿、渋谷、恵比寿、五反田など多くの販売場所を開拓してきた。

豊村さんは新しい場所に立つと、自ら1~2週間売って、お客がつくと新人の販売者に売り場を渡し、販売のコツまでこと細かに教える。普段も仕入れ用のビッグイシューを積んだ自転車で販売仲間のもとを訪れ、声をかける面倒見のいい兄貴分だ。一方で、仕事に対する厳しさは折り紙つき。「よく喉が潰れて声が出なくなったとか言われるけど、弱音吐いちゃダメだよな。そんなことは販売者みんなが経験していることだからさ。だってそうだろ、世間の人だって、みんな厳しい残業までして働いて、そのお金で買ってくれるんだから、こっちもそれ相応の努力をしないとな」

だが、さすがの豊村さんも東京に来たばかりの頃は大阪と東京の違いに面食らった。「大阪じゃあ、女子高生が制服姿で買いにくるし、北新地に行けばホステスの人が率先して贔屓の飲み客にビッグイシューを勧めてくれる。それが、東京に来たら、若い女の子に『ビッグイシュー?何それ?詐欺じゃないの』って言われる」と笑う。それでも嫌にならなったのは、振り向いてくれない人に、いかに買ってもらうかを考えるのがおもしろく、やりがいがあるからだ。「なんか、この仕事が自分に合ってるんだな。ほんと、今はエンジョイしているよ」

今でこそビッグイシューを“生涯の仕事”とまで言う豊村さんだが、これまでの人生は山あり谷あり。人に言えない経験も一つや二つじゃない。生まれは大阪。高校を卒業後、大手電機メーカーに就職。勤務した半導体工場では年々進歩する数ミクロンの世界に目がついていけなくなり、5年で退社した。その後、上京すると、ある時は製本屋でポルノ写真のボカシ消しを朝から晩までこなし、またある時はノミ屋で博打の書き屋までしたことも。他にもパチンコ店員などいくつもの職を転々としたという。ホームレスになったのは思いがけない事件がきっかけだった。「馬券売り場でたまたま知り合った女性がヤクザ絡みでね。彼女のマンションに行ったら、ヤクザが外からドンドンと扉を叩くわけよ。これは殺されると思って、慌ててベランダから飛び降りて素っ裸で逃げたんだ。自分の家にはもう帰れないし、そのままホームレスよ」。少しばかり、“やんちゃ”に過ぎた人生だが、振り返る振り返る豊村さんの語り口は暗くはない。「そうだな、後悔はしていないな。もともと枠にはまった生き方は合わないし、人間関係とかしがらみとかが、すぐに辛くなっちゃう方だから。まぁ、甘えって言われれば甘えなんだけどね。でも、ビッグイシューに出会って、今まで見えなかったものが見えたような気がするんだ」

現在は都内のグループホームで、販売者仲間6人と共同生活をする。食事や洗濯はもちろん、トイレの取り合いまで、男6人の暮らしは「毎日が戦争」。それが、なんだか楽しそうでもある。家族は十数年前に別れたきりの妻と高校生になる二人の息子がいる。「子供の顔を見たい気もあるけど、それをしたら筋が通らない。それに親父は死んだって教えられているはずだから」。家族への想いは自分の中では完全に断ち切っている。若い頃に抱いた大それた夢も、もう捨てた。「今の目標は、一つずつ地道に開拓してビッグイシューで日本制覇すること。あとは、仲間たちとのんびり焦らず、普通に暮らしたい」と話した。

取材が終わると、豊村さんは東急東横線東口の売り場に戻った。その日は風が強く、譜面台に飾ったバックナンバーのプレートが何度も倒された。不意に、初めて街頭に立った時のことを聞いてみたくなった。通り過ぎる人は自分の息子ぐらいの若者ばっかりで、恥ずかしいし、売れないし。正直、こんなことをするぐらいなら寝てる方がマシだって思ったよ」

しかし、1時間ほどして、買ってくれた最初のお客は若い女性だった。「その初めてのお客さんが、『頑張ってください。あなたが思っているほど世間は冷たくないですよ』って言ってくれたんだ。その一言に救われた。もうその頃はごみを漁る一歩手前だったから・・・。彼女の顔は今も忘れることができないよ」。そう言って、豊村さんは炎天下の中、ビッグイシューを売り始めた。

※掲載内容は取材当時のもののため、現在と異なる場合があります。

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