販売者に会いにゆく (旧・今月の人)

松沢誠さん

演歌で鍛えた歌声、街角に響かせて。「まずは簡易宿泊所で生活したい」

松沢誠さん

「販売はね、声を出してやるのが基本なんですよ」
4月6日から池袋駅東口で販売している松沢誠さん(50歳)の持論だ。サンシャイン60通りの入り口付近、宮城県ふるさとプラザの前にある樹のそばに立つ松沢さんの口上に、しばし耳を傾けよう。

「世界の国からこんにちは。三波春夫でも何でもございません、ビーッグイシューでございます。イギリス生まれのロンドン育ち。今をときめく話題の雑誌、世界各国にまたがる人気のビーッグイシューの日本版でございます。読みやすくて女性に人気。イギリス生まれですけど英語じゃありません、安心してください。池袋サンシャインからこんにちは。東京スカイツリーからこんにちは……」
よどみなくスラスラと言葉が流れ出て、途切れることがない。こうして一日販売していると、声はガラガラになってしまうそうだ。

「みんなは"ビッグイシュー"って言ってるけど、僕の場合は"ビーッグイシュー"って伸ばすんです。販売を始める前、事務所で面接した時にイギリスの販売者が映ってるビデオを見せてもらったんだけど、そのしゃべり方がすごくてね。それをまねしてるんです」と得意げな松沢さん。この場所で朝8時半から夜8時頃まで販売していて、目標は1日に50冊を売り上げることなのだそう。

音楽好きな松沢さんは、ポップ、演歌、ニューミュージック、ディスコ……と、音楽なら何でも聴くという。140号の表紙に登場したレディー・ガガのCDも持っているそうだ。

「僕の時代は、洋楽ではカーペンターズ、ABBA、ビートルズ、ローリング・ストーンズなんかよく聴いた。でも、カラオケはやっぱり演歌でしょ。歌うのは、もっぱら北島三郎。さぶちゃんのレパートリーは50曲くらいありますよ。月1回はカラオケに行ってたんだけど、販売を始めてからは行くヒマがないんだよね。それに、歌いたいけど、今は声がガラガラでしょ」
池袋駅のロッカーに預けてある松沢さんの荷物の中には、CDやカセットテープもたくさん入っているそうだが、惜しいことに、重たくてなかなか外に出す機会がないという。

ところで、松沢さんには放浪癖があるようなのだが、どうやらそれは子どもの頃からのクセらしい。小学生の頃から電車が好きで、よく一人で遠くまで行って、駅員などに捕まっては迎えに来た母親に頭をはたかれていたそうだ。静岡県の三島出身の松沢さんだが、祖母の住む福島県の猪苗代まで行ったこともあるという。

小学4年生から中学を卒業するまでは、浜松にある教護院(児童自立支援施設)で過ごしたそうだ。当時は酒乱だったという父親から離れることができて「楽しかった」と言う松沢さん。「規律は厳しかったけど、その時の先生には仕事を紹介してもらったり、長いつき合いです」
卒業後は浜松の鉄工所で6年勤務し、退職金などで百万円を手にした松沢さんは、キャバレーで飲み歩き、ひと月半でその金を使い果たしてしまったという。その後、パチンコ店に住み込みで働き始めたが、一つのところを2ヵ月から1年程度で辞めて別の場所のパチンコ店に移るということをくり返しながら、静岡から横浜を経て東京へ移動。その後は都内を転々とした。その間に、サウナの店員や建築作業員、新聞の勧誘員、磯辺焼きの屋台、看板持ちといった職を経験し、自衛隊に入隊していたこともあるという。

子どもの頃に患った慢性中耳炎(鼓膜に穴があいた状態)や網膜の障害のために、左耳の聞こえが悪く、細かい物が見えづらい松沢さんが長く続けられたのは、パチンコの店員と看板持ちだったそうだ。自営業はビッグイシューが初めてで、販売初日に「売上金の何割かは差し引かれるんですか」と事務所のスタッフに電話をしたところ、「いえ、そのお金は松沢さんのものです」と言われて驚いたという。「次の仕入れや交通費を除けば、あとは実力次第で自分の収入になる。今までの仕事とはそこが違う」と松沢さん。

まずはお金を貯めて簡易宿泊所で生活することが松沢さんの目標だという。「マンガ喫茶よりはドヤ(簡易宿泊所)のほうがいいんです。ちゃんと布団を敷いて寝られるから。ビッグイシューの販売は、できれば長く続けたいと思ってる。このままいけば初めての夏を迎えます。僕は夏のほうが好きなんですよ」

この日、松沢さんの別れの言葉は「ではまた。"有楽町で逢いましょう!"(歌のタイトル)」だった。目標の売り上げ50冊を達成し、松沢さんがカラオケを楽しめる日が早くくるといい。

※掲載内容は取材当時のもののため、現在と異なる場合があります。

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