販売者に会いにゆく (旧・今月の人)
黒田国男さん
アパートを借りて、就職するまでは販売者を続けたい。 働くのは嫌いじゃない
「緊張しますね」 カメラを向けると、黒田国男さん(42歳)の表情はやや硬くなりがちだ。「人に接するのは好きですよ」という、普段のにこやかな笑顔がなかなか出てこない。
黒田さんがビッグイシューの販売員になって、もうすぐ半年になろうとしている。「仲間に話を聞いて、やってみようと思ったんですよ。楽しいですね。売れているときは特に。お客さんとの会話も楽しめるし」。お客さんは中年の女性が多く、高校生も立ち寄るという。
「実は2ヶ月前に娘が来たんです」。黒田さんは目を細めた。そして、「買わせませんでしたけどね。やだから」と父親の顔をのぞかせた。
黒田さんには二人の娘がいる。27歳のとき、4年間の結婚生活が崩壊。「子どもと離れ離れになってから、やる気をなくしましたね。子どもがいなくなったのは大きかったです。娘たちが側にいないと働く意欲がわかないから」。当時、幼かった娘たちは、高校生に成長した。
黒田さんが立つ南1条西3丁目の交差点は、ファッションビルが集中する、若者が行き交うエリアだ。販売場所をここに選んだのには、こうした過去に関係があるのかもしれない。
「離婚後、少し働いたけど、29歳のときにはじめてホームレスになりました」。その後、働いたり、路上生活者に戻ったりを繰り返している。「トータルで10数年、こういう生活をしています。路上生活に戻るのは平気ですね。最初は不安だったけど、もう慣れちゃって。何か仕事があったら働いて、また路上に帰るんです」
去年は、春先までホームレスで、夏場は働き、8月に戻ってきた。岩見沢で生まれ育った黒田さんは、17歳のとき、家出同然で札幌に上京。
「職業訓練校を中退したんです。喘息で入院してね。1年後に復学したんだけど、その後も学校行ったり休んだり。結局辞めました」
その後、札幌の友人宅に居候して、ディスコで遊びまくった。しばらくして、すすきののディスコでバイトをすることに。ときはディスコ全盛期だ。「地元ではディスコなんていったことなかったから、まったくの別世界でしたね。給料は悪くなかったですよ。女子大生相手に、ときにはホールで一緒に踊ることもありましたよ」
しかし、こうした華やかな生活には1年で見切りをつけ、18歳のときに自衛隊へ。「店のお客さんに誘われて、入ってみようかな、と。料理関係をやりたい、と希望したら、調理場に回してくれました」
2年で自衛隊を退団した黒田さんは、定山渓のホテルにアルバイトの口を見つける。
「料理人になるのが夢だったんですよ。ディスコでも最初は厨房にいました。料理はある程度はできますよ。得意料理を聞かれても困るけど。」と黒田さんは懐かしそうに話す。
料理の道に進もうと、ホテルで働きはじめたが、そこは料理を学ぶ環境ではなかったという。「洞爺湖や支笏湖のホテルの面接を受けましたが、全部ダメでした」
夢破れた黒田さんは、20歳のときから建築業で生活費を稼いでいる。ケガに悩まされながらも、日雇いで札幌市内を転々とし、約20年間、この業界に身をおいていた。「10月にビッグイシューをはじめてからは、建築の仕事はしていません。もう足腰に自信がないです」
喘息持ちの黒田さんは、今でも薬が欠かせない。「薬がきれたら、そのたびに故郷に帰ります。町内に薬をくれる人がいるんです。実家の母親には、置手紙をするだけで、会いませんね。ときどき電話で話すから、販売員をしていることは知ってます。ホームレスのことは隠してるけど、もう気づいているかもしれないですね」
実家には弟と姪も同居している。「弟も勘づいているんじゃないかな。姪っ子とは昔よく遊びましたよ。子ども、好きですねぇ」と、黒田さん。「余裕があれば、子どもを引き取りたいです。でも、余裕ないから…」 下向き加減で、黒田さんはさびしそうにつぶやいた。
ビッグイシューの売り上げは、1日平均30冊ほど。「アパートを借りて、就職するまでは販売員を続けたいですね。働くのは嫌いじゃないし」。今後、どのような職につくかは考えていない。ただ、「料理人は無理でも、居酒屋ならやってもいいかなぁ」ともらした。
人生まだ先は長い。失ったものを一つずつ取り戻す時間は、黒田さんに十分残っている。
※掲載内容は取材当時のもののため、現在と異なる場合があります。
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