販売者に会いにゆく (旧・今月の人)

美馬直史さん

気の合う人がいるだけで、好きなことがあるだけで、 毎日楽しく働ける

美馬直史さん

 JR大阪駅と阪急百貨店を結ぶ交差点の阪急側で販売をする美馬直史さん(44)は、『美馬通信』という8ページほどの小冊子を作っている。内容は美馬さんが日々の生活で感じたことや、さまざまな豆知識を紹介するコーナーなど。毎号70部ほど作り、ビッグイシューを買ってくれたお客さんに渡していくと、1日でなくなる。

「今年の1月から販売員になって、4月からこの小冊子を作り始めたんです。最初は年に4冊くらいと思ってましたけど、すぐにお客さんが反応してくれて『読みました。とてもおもしろかったですよ』って。それから毎月作るようになって、スタッフにも『このままだと月2回になるんちゃう?』って冗談を言われてるんですけど」と美馬さんは嬉しそうに笑う。

最近はドヤ(簡易宿泊所)に泊まって身体を休めることよりも原稿を作らねばとついインターネットカフェに足が向く。「書いては消し書いては消し。嫌なことがあってもこれに打ち込めるじゃないですか。お客さんやスタッフと話していてもいつも思うんです。気の合う人が一人いるだけで楽しく働ける、好きなことがあるだけでそれが毎日の楽しみになるって」

25年前に地元の徳島県三好市にある高校を卒業し、大学に通うために大阪へ出てきた。入学するなり寮でいじめにあい意気消沈。クラブの先輩に教わったパチンコにはまったこともあり、単位が取れずに大学4年で中退する。

「いったん田舎に戻りました。当時やりたい仕事が二つあって、保父さんと情報処理の仕事。まずは保育所に研修に行ったんですけど、僕の性格では無理やなあって気づきました。う?ん・・・怒れないんです。きつく怒るのが無理で。それでレストランでアルバイトをしながら情報処理の学校に行きました」。しかし情報処理の内容はかなり難しく、資格取得に何度トライしても合格できない。就職の面接を受けても断られてしまった。

それから美馬さんは精神面の弱さを克服しようと、24歳の時に香川県の道場へ入門している。「朝5時に起床。座禅をしてお経を読み、畑仕事などの作務をする。全国の小学校や中学高校から問題児や不登校生徒も来るんですけど、不良と呼ばれている子どもたちでも話してみると何でもない普通の子でしたよ。話してみないとわからなかったことですね」

2年間の修行をして道場を出た後に、再び大阪で大型釣具店に就職する。商品を棚から出し箱詰めをして、それらを車で支店まで運ぶというピッキング・商品管理の仕事。年2回の社員旅行や気の合う同僚たちもいて、働きがいがある職場だった。しかし1995年の阪神・淡路大震災を境に売上が落ち、大がかりなリストラで切り捨てられてしまう。

「その後は文具やアパレル会社でのピッキングや、厚焼き卵や寿司ネタを扱う冷凍庫の中で夜通し作業したり、当時オープンしたばかりのUSJで売店に食材や容器を補充する仕事もしました。どの仕事をしている時も『俺ってここで本当に役に立っているのかな』って。いつも不安でした」

40歳の頃、当時抱えていた借金や学生時代からのパチンコ癖もあり、親と相談してカウンセリングを受けた。そこで紹介された横浜のギャンブル依存症の回復施設に、半年間入居することになる。「グループセラピーではテーマを決めて、一人ずつが自分の過去やパチンコをしてどういう気分になるかなど話すんです。完治は絶対にないんだそうです。『やめることはできないけど、やめ続けることはできる』ということなんですよ。でも僕は今もずっとやめているし、きっとやめられると思います。そこでは同じような悩みや過去を持った人たちばかりなので、お互いに共感して孤独感は薄れましたね」

施設を出て、横浜の駅で手配師(職安とは別に日雇いの仕事を紹介する業者)に捕まり、名古屋の飯場で1ヶ月ほど働く。そうして一昨年に大阪へ戻ってきた時には、住む場所もなく路上生活をした。親には飯場にいた頃に連絡をしている。

「親は僕が今でも飯場で働いていると思っていますよ。ビッグイシューの販売員になってからは変に気を張らずに楽しく仕事をしてます。でも実は、この間まで売上が落ちて気分が落ち込んでたんです。それでもお客さんが来て『おじちゃん先月ちょっとさぼってたでしょう?からだ大丈夫?』って。俺のことを本当に思ってくれるお客さんもいるんだなって嬉しかったし、スタッフも僕の悩んでいたことが些細なことなんだとわからせてくれて勇気をくれた」

これからはできるだけ早く住む部屋を見つけ、就職活動に向けてパソコンの勉強もしていきたいという。『美馬通信』に嬉しい近況報告が掲載される日を、みんなが心待ちにしている。

※掲載内容は取材当時のもののため、現在と異なる場合があります。

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