今月の人

木下さん

とにかく金を貯めてアパートを探したいね。そのためには本を売らないかんから、いろいろと工夫しようと思っているよ

木下さん

名古屋駅前にトヨタと毎日ビルが建設した、巨大なミッドランドスクエアというビルがある。そこから名駅通りをはさんで駅側にある歩道が、木下さんの販売場所だ。名古屋地区で最大の大きさを誇る真新しいビルを見上げながら、木下さんは自分の販売スペースに次々と新しいアイデアを盛り込んでいく。

「最近やっとるのは、この自転車のサドルに傘の柄をしばりつけて、開いた傘の端っこにぐるりと1冊ずつビッグイシューをぶらさげておく方法。大阪で果物や衣類の露天商をやってた時のアイデアだね。強い風が吹いたらえらいことになるけどね」と新発明の説明をしながら笑う。

木下さんは、今年4月の一週目から販売を始めたばかり。自転車に乗って毎朝7時半に持ち場につくと、まずは歩道にびっしりと置かれた自転車の整理から始める。時には顔なじみの警備員が手助けしてくれることもあるそうだ。軽くごみを拾うなどしていたら、あっという間に販売開始時間の8時になる。

木下さんは名古屋の出身。もともと家は鍛冶屋だった。
「俺は高校を卒業したら家から外に出るつもりでいて、就職も2ヶ所決まっていたわけ。おふくろや周りは行け行けって言ってたのに、親父だけが頑として反対した。鍛冶屋を手伝ってほしかったんだ。昔の人間だから言ったらきかないからね。小さい頃だって遊びに行って帰りが夜遅いと絶対に飯くわせないんだもん」

3人兄弟の末っ子だった木下さんは、家を継ぐか継がないか決めないまま家の仕事を13年手伝った。27歳の時に父が亡くなり、31歳の時、兄弟と仕事上の意見の食い違いで大げんかをする。「それならあんたがやりゃあええが。あんたについていけんで悪いが、俺行くわ」と家を飛び出した。その後しばらくはパチンコ会社に就職して寮暮らし。金が貯まるとパチンコ店を退職し、東京や大阪を泊まり歩きながら半年くらいを遊びに費やす。

名古屋に腰を落ち着けて、またパチンコ店で働きだした32歳のある日、二人の兄が突然木下さんを訪ねてきた。
「家の仕事を手伝うように説得するために連れ戻しにきたんだ。『なんとかならんか。手足になってやってくれないか』と言うわけよ。『それだけは勘弁してくれ』って言ってさ。俺は最初に仲違いした時のショックが大き過ぎ、もうだめだった」。そのかわり、長兄の昔からの仕事仲間の鍛冶屋で働くことになった。

そこで6年を勤めあげた38歳の時、三重県にある造船所で船を作る仕事を始めた。木下さんが携わったのは保温屋といい、重油タンクなどがある船の内部壁面に断熱材を入れる仕事だ。

「日本最大の船を作っているところ。大きい船だと半年とかの工事期間でね。断熱材やガラス繊維をピストルみたいな器具を使ってピンでぱちんととめていく。目は痛くなるし空振りして外れたピンが飛んで来て火傷したこともなんぼでもあるよ。船のエンジンの下までもぐって断熱材を貼らないといかんから危険なこともあったよ。あと、留めたはずのピンが全部抜けて大失敗したこともあるね。『わっちゃー!』って言って全部やり直したんよ。ピン100本200本の話じゃないよ。船が大きいからね。2000本3000本のピンを打ち直し。悠長にはやっとれん仕事だったね」

現場の作業員同士は仲が良く、仕事が終わってから組合の売店で酒をこっそり買い服の下に隠して、帰りのワゴン車の中でワイワイとみんなで飲むようなこともあった。そんな思い出深い仕事も5年ほどで終わった。

46歳の時に仕事を求めて、大阪へ移動した。仕事はなかなか見つからず、ビジネスホテルに泊まりながらブラブラしていた。半年でお金も尽きてしまい、時々野宿をするようになる。起きたらいっさいがっさいの荷物を盗られたこともあり、散々な時期だった。
「しばらくして西成で声をかけられてね。今思えばいかがわしい仕事だったんだけど、果物や衣類の露店商をやることになったんよ。安宿の面倒もみてもらってそこから通った。52歳くらいまでやっていたかな」

数年間露店商の仕事を続けていたが、生活保護対象者を狙った詐欺に遭った。そんなしつこくつきまとう“ややこしい人々”との人間関係に嫌気がさし、大阪を離れて昨年の6月、久しぶりに名古屋に戻ってきた。

名古屋では公園で寝泊まりをしながら缶拾いや道路下水工事などのガードマンをした。そうしているうち、同じ公園で一緒に寝泊まりをしていた友人からビッグイシューを紹介された。
「今まで散々やりたいことやってるからなあ。またやってみたい仕事とかは特にないけど、とにかく金を貯めてアパートを探したいね。そのためには本を売らないかんから、いろいろと工夫しようと思っているよ」。

※掲載内容は取材当時のもののため、現在と異なる場合があります。

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