販売者に会いにゆく (旧・今月の人)

Kさん

気持ちをプラス思考にもっていけ。売上げアップにつながることなら、とにかく何でも試すようにしてる

Kさん

JR高田馬場駅早稲田口で6月初めからビッグイシューを販売しているT・Kさん(43歳)は首を傾げる。「なんで自分みたいな、においしそうな近寄りがたいおっさんのとこに、若くてきれいなお客さんが来て雑誌を買ってくれるのか不思議やし、正直なところ面食らってる」。

もちろん、Kさんのもとを訪れるのは若い女性ばかりではない。学生や子供連れの主婦、男性会社員からも「暑いけど頑張って」という励ましの言葉や、冷たい飲み物などの差し入れが届く。「何かをいただく以上に、その真心へのありがたさが一番大きい」とKさんは言う。

これまで高田馬場駅周辺はビッグイシューの東京事務所に近いことから、新人販売者が練習する場として利用されてきた。しかし、「売る人がコロコロ変わるから、いつ来れば買えるのかわからない」といったお客さんからの訴えも多い。そこでKさんは「できることなら自分がここを担当して、眠っているお客さんを掘り起こしたい」と、継続的な販売を希望している。今のところ、8時から20時まで立って売上げは10~20冊。本音をいえば、もう少し部数を伸ばしたい。

「自分は今、溺れてる状態やから一本のわらをもつかみたい。自分の気持ちをプラス思考にもっていけて、売上げアップにつながりそうなことやったら、とにかく何でも試すようにしてる」

たとえば古本屋で1冊105円のビジネス書を買い、役立ちそうなテクニックがあればすぐに採り入れる。お客さんには「いらっしゃいませ」ではなく、いきなり「ありがとうございます」と言ったほうが売れると読めば、その通りに実行。思いついたキーワードを放射線状につないでいく発想法"マインドマップ"にも挑戦した。

「ビッグイシュー」→「付加価値」と来て、次に思いついたキーワードが「売場周辺の掃除」と「目の不自由な人の道案内」。これもさっそく実践している。このように並々ならぬ営業努力をしていても、売れない時間は不意にやってくる。「そんなときはついイライラして目がつり上がってしまうけど、昔見たテレビドラマの主題歌をハミングしたり、ティッシュに染み込ませたローズマリーのアロマオイルを嗅いだりしているうちに、不思議と落ち着いてくるんです」。

仕事が終わると、マクドナルドでコーヒーを飲みながら一日の反省をする。ポータブルCDプレーヤーで、川のせせらぎを収録した環境音楽や、頭がよくなると評判のモーツァルトなどを聴いていると、いいアイデアが浮かんでくる。朝は5時に起きて、新宿の花園神社に参拝することも欠かさない。

「今日も一日、天気が崩れんようにって祈る。賽銭は縁結びも兼ねて、毎日5円って決めてる。今はホームレスやってて自分の食事代もままならん状態やけど、もし願いが叶うんなら、休みの日につき合ってくれるパートナーがほしい」

男ばかりの職場続きで、出会いがまったくなかったと話すKさんの言葉には、うっすらと西のイントネーションが残る。聞けばKさんは奈良県の生まれだとか。父は会社員、母は専業主婦、下には14歳違いの妹がひとりいた。高校を卒業後、神奈川にある自動車工場に就職したが、仕事の内容や人間関係などで嫌なことが重なって22、3歳のときに工場をやめ、飯場(作業員宿舎)に入った。以来、いくつもの建設現場を転々としたが、「飯場暮らしなんか、いつかやめてやる」という思いが常につきまとっていた。

「食費とか施設利用費とか引かれるから、15日で3~5万円程度。きつい仕事のわりにはたいしてもらえない。いくら頑張っても給料が増えるわけじゃないし」

結局、飯場を離れたKさんは昨年の10月頃から、日雇い仕事をしては新宿駅周辺で寝泊まりするようになった。

「一度でいいから力仕事じゃない仕事をやってみたいと思いながら、新宿の福祉事務所に通っていたら、ビッグイシューの販売者募集の貼り紙を見つけた。今やっと夢が叶ったって感じやね。高田馬場販売店の店長を任された気分でいる」

夕方になると高田馬場駅前に必ずやってきて、鳩にえさを撒くおじいさんがいる。「群がる鳩を見ていると、炊き出しに並ぶ自分らみたいやなって思う」。近頃は、炊き出しよりも販売をできるだけ優先している。「夢は、いつか本物の店舗をもって、そこでビッグイシューのバックナンバー展を開くこと」。それくらい、今の仕事に惚れ込んでいる。Kさんが販売にかける意気込みは半端じゃないのだ。

※掲載内容は取材当時のもののため、現在と異なる場合があります。

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