販売者に会いにゆく (旧・今月の人)

白土修一さん

【ビッグイシューOB編】 今でも中野を歩くと、昔買ってくれたお客さんに声をかけてもらったり…。すごく嬉しいし、大きな励みになります

白土修一さん

昨年の大晦日、中野の修ちゃんこと、白土修一さんが、ビッグイシュー販売員を卒業した。前から決めていたことなので、お客様にはその旨を一ヶ月前から伝えていた――まるで取引先に退職の挨拶をする社員のように。その数、150人を下らなかったという。みんなに慕われ、愛された修ちゃんはそうして中野を去っていった。

それから約半年。「あの人なつっこい販売員さんは今どうしてるの?」そんな声が未だに寄せられるので、近況を聞くべく修ちゃんに会うことにした!!
修ちゃんが待ち合わせに指定してきたのは、中野駅北口。かつて修ちゃんが3年と1ヶ月立っていたあの場所だ。午後6時、帰宅途中のサラリーマンに混じり、修ちゃんが改札口から現れた。

「こんばんは!今仕事の帰りなの。久しぶりの電車通勤」と目を輝かせる。修ちゃんは現在、東京都内の大学で用務や清掃の仕事をしているのだ。さっそく修ちゃんがビッグイシュー販売中の休憩時間に訪れていたという喫茶店で話を聞くことに。
「さあ、何がいい? カフェラテ? ジュース?」
「いいですよ、ここは私が。取材費で落ちるんですから!」
「いいから、いいから。女性にサイフの紐は開けさせません。お腹はすいてないの? パン食べる?」
“男気”にやられ、遠慮なくご馳走になることにした。
「それでどうですか、新しい仕事は?」
「ビッグイシューに比べたらね、すごく暇なの(笑)」

現役販売員時代、日に平均40冊を売り上げていたという修ちゃん。発売直後はお客が途切れず、朝から夜遅くまで立ち続けたこともあった。就業時刻が決まっている今の仕事を“ラク”に感じるのは当然かもしれない。

「僕はね、ビッグイシューの販売者という仕事を“天職”だと思ってたの。決まったお客さんもつくようになって、街の人とも知り合いになれて楽しくてね。『一生この仕事をやっていくぞ』って。でも長く続けるうちにその厳しさもわかったの。ビッグイシュー販売員は個人事業主と同じ。うまくいく時もあるけど、雨が降り続いて客足が途絶えたり、売れる号と売れない号があったり……安定しない。それが厳しいところ。ビッグイシューを売ってたころはホントにたくさんの人と知り合えたけど、その機会が減ったことは残念だよね」

修ちゃんは炭鉱の町として栄えた福岡県飯塚市出身の九州男児。9人兄弟の末から2番目でみんなにかわいがられて育ったが、早く一人前になりたいという思いと東京へのあこがれは、誰より強かったという。その夢をかなえるべく、17歳で上京。左官、製本屋、パチンコ店などの仕事を経験。21歳の時、結婚もした。

ところが45歳の時、人生が暗転する。バブル終焉とともに16年間つとめたパチンコ店をリストラされてしまったのだ。
「カミサンは自分で商売やって頑張ってたから、生活には困らなかったんだけど、女性に食べさせてもらってるって状況が、どうにも耐えられなくてね。それで家を出たんですよ」
“男気”が仇になったのだ。仕事をなくし、家をなくした修ちゃんが漂り着いたのは、中野だった。

「中野はホームレスが少ないからね。十分“エサ”にありつけた。繁華街じゃなく安全なのもここを選んだ理由だね」
路上で暮らすうち、顔見知りになったガードマンからビッグイシューの存在を聞いたことが、修ちゃんがビッグイシューの販売員になったきっかけだ。
「そのガードマンさんのためにも、頑張らなくちゃって思いました。実は今の仕事も、三十数年来の知り合いが紹介してくれたもの。ホント、人の縁って大切にしなきゃねぇ」

今、修ちゃんは、中野駅から電車で数駅の場所にアパートを借りている。中野駅から職場までは電車だが、自宅から中野駅までは自転車だ。
「この間、駅に自転車を止めておいたら、放置自転車で持ってかれちゃった(笑)。自転車に乗るの久しぶりだったから、そういうの忘れてたんだよね。今はちゃんと駐輪場借りて止めてるよ」
わざわざ中野で下車しなくてもいいのに、やっぱり修ちゃんは中野の町が好きでたまらない。かつてのホームグラウンドに立ち寄らないと落ち着かないんだろう。

「今でも時々中野を歩いてると、昔買ってくれてたお客さんに会ったり、声をかけてもらったりする。手紙をくれる人もいる。そういうことはすごく嬉しいし、大きな励みになります。ビッグイシューは卒業したけど、ビッグイシューに対する思いは今もまったく変わらない。これからもいろんなかたちでかかわっていけたらなぁと思っているんですよ」そう言って修ちゃんはニッコリ笑った。

※掲載内容は取材当時のもののため、現在と異なる場合があります。

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