販売者に会いにゆく (旧・今月の人)

小宮茂さん

ベッドで眠るのが夢。今は、「酒よりも仕事が楽しみ」

小宮茂さん

JR横浜駅西口のジョイナス前で、10時から16時までビッグイシューを売る小宮茂さん(54歳)が、販売員募集のポスターを見たのは昨年10月のことだった。ポスターは、1泊2000円ほどで泊まれるドヤ(簡易宿所)が建ち並ぶ横浜市中区寿町の「さなぎの家」に貼られていた。「さなぎの家」はホームレスの自立を支援する「NPO法人さなぎ達」が運営する施設だ。ここ寿町へたどり着くまで、小宮さんの人生にはいつもアルコールが暗い影を落としていた。

小宮さんが生まれたのは相模湾に面した神奈川県の真鶴。姉が一人いたが、お互いに譲らない性格で口喧嘩が絶えなかった。母は専業主婦。父は竹細工の職人で、竹で背負い籠や手提げ籠を編んでは売り、一家を養った。父の後を継ぐという道もあったが、「俺は不器用だから無理して継がなくてよかったよ」と小宮さんは言う。中学を卒業すると同時に、いとこの紹介で、小宮さんは平塚にあるフォークリフトのタイヤ工場に就職した。

そこで23年間勤めた後、川崎の電気工事を請け負う会社に移った。ところが15年が過ぎようとした頃、酒を飲んで起こしたトラブルが原因で会社を解雇された。職を失った小宮さんに、医師から下された診断はアルコール依存症だった。「アルコール依存症っていったら、朝から晩まで飲んだくれている連中のこと。俺は仕事が忙しくなると飲みすぎるだけで、絶対に病気なんかじゃない」と最初は反発した小宮さんだったが、思い当たることがないわけではなかった。

「酒を飲むと急に表情が変わるってよく言われていたし、その間のことは覚えていないことが多かった。気がつくと他人の自転車に乗っていて、おまわりに呼び止められたこともあった。昔から酒を飲んでの口論も絶えなくて、かっとなった相手に殴られたこともあれば、顔にコーヒーをかけられたこともあるよ」

借りていたアパートの家賃を払えなくなった小宮さんは、仕事を探そうと横浜に出た。1週間くらいは寿町のドヤに泊まれていたが、じきに持ち金が尽き、関内駅周辺の路上で寝るようになった。しかし初めのうちは、路上の仲間からもなかなか受け入れられず、銭湯の場所すら教えてもらえなかった。そして、ようやくできた仲間から聞いたのが「さなぎの家」の存在だった。家を出るとき、着の身着のままだった小宮さんは、そこで着替えと安全カミソリと石鹸をもらい身だしなみを整えた。

アルコール依存症から脱却しようと、医療関係者や市民によって設立された「寿アルク」のミーティングにも参加し始めた。仕事のストレスが溜まると飲みすぎる傾向が強かったため、しばらくは仕事をやめて福祉を受けながら治療に専念する日々が続いた。しかし、しだいに「10円でも20円でもいいから、自分の手で稼ぎたい」と思うようになり、自ら販売員として働くことを希望した。最初の3日間はビッグイシューのスタッフ・香取さんが付き添ったが、1日目から挫折しそうだったと小宮さんは言う。

「雑誌を持っている手がすぐにだるくなって下に降ろすと、『はい、元気よくまっすぐ挙げて。これは修業だよ』なんて言って厳しいからさ、俺には向いてないんじゃないかって思ったよ」

当初は1日じゅう立っていても1、2冊売れればいいほうだったが5冊、6冊と着実に部数を伸ばしつつある。常連さんも定着してきた。

「にこにこ笑いながら近づいてきて、買うと必ず『頑張ってください』って言ってくれるお客さんがいる。1冊読んでみたらおもしろかったからって、バックナンバーをまとめて買ってくれた人もいるよ。あとは、名札を見て覚えてくれたみたいで、"小宮さん"っていつも名前で呼んでくれる人。これは本当にうれしいよね」

今は、小さなテレビとちゃぶ台だけがある三畳一間のドヤで暮らす。

「畳の上にせんべい布団を敷いて寝ているから、背中が痛くて夜中に何度も寝返りを打つ。それでも、地べたに段ボールを敷いて寝ていた頃よりはずっといいけど。壁が薄くて音が筒抜けだから、テレビも片耳だけのイヤホンで聞いてる。夜中のいびきだって丸聞こえだけど、これはお互いさまだから、しょうがないよね」

将来は自力でアパートを借りて、会社に勤めていた頃のようにベッドで眠るのが夢だ。今は、「酒よりも仕事が楽しみ」という小宮さん。自分を待っていてくれるお客さんの顔が見たくて、雨の日以外は休まず横浜駅に立ち続けている。

※掲載内容は取材当時のもののため、現在と異なる場合があります。

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