今月の人

長倉俊康さん

66号はウサギ、67号は蓮、68号はペンギン。 人と話すのは苦手。だから毎号、お客さんに渡す折り紙

長倉俊康さん

 長倉俊康さん(56歳)は取材中、ずっと折り紙を折っていた。一枚の紙が折り重なってみるみる形をなしていく。「毎号"おまけ"としてお客さんに渡しています。65号はペンギン、66号はウサギ、67号は蓮……というふうに毎回テーマが変わるんですよ」と照れくさそに言う。大切に持ち歩いている箱には、すでに折り上げた折り紙がたくさん詰められていた。

「もともと内向的な性格でね。人と話すのすごく苦手。街頭では積極的に声を出して販売しなきゃいけないこともわかっているんだけど、恥ずかしくてダメなんだよね」と苦笑する。長倉さんがビッグイシューを販売しているのは新宿駅西口の三井ビル周辺。手製のスタンドを立てて売り場にしている。

「一目瞭然、そこでビッグイシューを売っていることをわかるように作りました。ほかの販売員さんは声を出してアピールできるけど、僕はダメだから。売り上げも1日30冊がいいところで・・・・・・ホント落ちこぼれだよ(笑)」

長倉さんにとって折り紙やスタンドがお客様とのコミュニケーションツールになっているようだ。
長倉さんが販売員になったのは昨年7月。テレビでビッグイシューを取り上げた番組を観たのがきっかけだった。

「アパートに住んでたけど家賃が払えなくてね、途方にくれてた時、偶然知ったのが、ビッグイシューでした。もしこの先、路上で暮らすようなことになったらビッグイシューを訪ねてみようって、その時漠然と思ったんですよ」
それから数ヶ月後、住む家をなくした長倉さんは路上で暮らし始めた。

「家がないってことがこんなにキツイことだったとは……想像をこえていましたよ。特に冬は慣れないからすごく寒く感じる。春が待ち遠しいなぁ」

内向的で人づき合いが得意でないという長倉さんは、一人黙々と手を動かし、何かを作り上げることが得意だ。長倉さんの作る精巧な折り紙を観るだけでも、その手先の器用さがよく分かる。
「子どものころから漫画家になりたいという夢があって、高校時代はマンガ部の部長もやっていたんですよ。ちばてつやとか手塚治虫にあこがれていましたね」

高校卒業後は、手先の器用さやデザインセンスを生かし、地元静岡のミニコミ誌で働き始めた。
「今のように編集がデジタル化されるずっと前だったから、デザイン、レイアウト、版下作成まですべて手で作業していました。結構おもしろい仕事で自分に合っていたと思うんですよ」

漫画家になる夢もあきらめていなかったので、平日は会社で仕事をし、休みの日はマンガを書くという生活を続けていた。ところがすべてを諦めざるを得ないような病が長倉さんを襲った……胃潰瘍だった。
「一度は復職したんですが、再発してしまって、結局仕事を辞めました。原因はお酒。一度飲むとグデングデンになるまで飲み続けないと気が済まなくて、それで胃もボロボロになってしまったんです」
長倉さんが次に選んだ職場は、スナックの厨房だった。

「夜中に働けば、仕事帰りに酒を飲みたくてもお店はやっていませんからね。だから酒を絶てると思ったんですが……ダメでした。ちょうど仕事が終わるころ、沼津港の魚河岸にが開くんで、結局そこで飲んじゃうんですね」

その後、スナックや居酒屋を転々とした後、上京。仕事を失い、件のアパートを出ることになってしまうのだ。
「親の葬式にも行ってない……本当に親不孝な人間です。好きになった女性がいて駆け落ち同然で故郷を後にしたんだけど、結局その人のことも幸せにはできなかった」
そう独りごちながら長倉さんの手は、次々と新しい折り紙を折り上げていく。

「複雑な折り方は図書館で借りた本で覚えました。最近、折り紙を差し入れてくれたお客さんがいて、とても嬉しかったです。次の号には何をおまけとして折ろうか、それを考えるのがすごく楽しい。ラッカーを使ったりすれば、もっと立体的でしっかりしたオブジェになると思うんだよね」
研究に余念がない長倉さん。
「折り紙に集中しているとね、時間が経つのを忘れてしまうんですよ、すべてを忘れて没頭できる、その時間が好きなんだと思う」

取材を終えた帰り際、長倉さんが手を差し出した。
「これよかったら持っていって。今日のおわび。たいした話できなかったから(笑)」
その手には、折られたばかりのペンギンやウサギが大切そうに握られていた。

※掲載内容は取材当時のもののため、現在と異なる場合があります。

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