販売者に会いにゆく (旧・今月の人)
林三雄さん
名古屋を何とか盛り上げていきたい。 今年の抱負はアパートを探して移り住むこと
「すごく名古屋が恋しくなってね、去年こっちに戻ってきたんだ」
現在JR名古屋駅の松坂屋前で販売をする林三雄さん(51歳)は九州長崎の出身だ。20歳の頃に仕事を求めて名古屋へやってきた。その時はまだまだ遊びたい盛りだったと林さんは当時を懐かしく振り返り、「色々やんちゃしたなあ。酒もよく飲みに行ったし、キャバレーの呼び込みのバイトをしてた時に一悶着あって、お巡りさんに手間かけたこともあったよ」と笑う。
パチンコ屋で9年間勤めたほか、印刷屋や紡績会社、土木作業の現場などさまざまな職種を体験する。だんだんと働く場所がなくなって来た林さんは49歳の時に、慣れ親しんだ名古屋を出て京都に移る決心をする。
2005年1月、芯から底冷えする京都の寒さに震えた。働き口を求めて京都に来たはいいものの、金はない、仕事はない、住む場所もなければ寒くて眠ることすらできない。京都駅の新幹線口付近で途方にくれているとビッグイシューのスタッフに「炊きだしをしているので来てみませんか?」と声をかけられた。
2月から京都駅の前で、林さんにとっては初めての販売業が始まった。「右も左もわからなかった。挨拶もそれまでまともにしたことがなくて、お客さんに返す言葉も『おうっ!』とか平気で言ってたんだ」。客に求められた"バックナンバー"の意味がわからずにきょとんとしてしまったことも。
「最初から本も売れなくて。そしたら先輩の販売員やサポートスタッフがいろいろと教えてくれた。『おはようございます』『行ってらっしゃい』の言葉が出るようになって、雑誌も一冊二冊と売れるようになった。一言の挨拶の大切さを学んだな」
半年間京都での販売員を勤めた林さんはスタッフの勧めもあり、京都の技術センターへ。仕事探しのサポートを受け、13回面接を受けるが断られた。ようやく京都府内にある病院の清掃員として、病室のごみ集めやトイレの清掃、ナースステーションの注射針の後処理などをして働いた。ただその仕事は肉体的にも精神的にもきつく、3ヶ月で断念して再び求職中の身となった。大阪に移ったが、ふと考え直した。
「なんか急にね、名古屋へ帰りたいって思ったんだ」。2006年4月、ビッグイシューの販売が名古屋に展開した絶妙のタイミングで、名古屋へ帰ることになった。
「名古屋駅の前で懐かしいビッグイシューが売られていてね。思わず200円差し出して1冊買ったよ。その時にもう一回、ビッグイシューを売ろうって思ったんだ」
6月から名古屋の松坂屋前で再び販売をすることになったが、名古屋でのビッグイシューは大阪に比べてまだまだ知名度が低く、しばらく売り上げに伸び悩んだ。
「それに通りがかりの男性に『邪魔だ』って雑誌を蹴っとばされたりね。雑誌に足跡がついたのを見たら悔しくて。もうやめようかなとまで思ってたんだ」
仕事が終わったある日に道ばたで一人座っていると、話しかけてくる女性がいた。「落ち込んでいる様子の林さんが気になった」と話すA子さんだ。A子さんはその時、思いつめていた林さんの話を6時間かけて聞いてくれた。
「あきらめる直前だったからすごく嬉しかったよ。だけどビッグイシューを売ってるっていうのは言えなかった。『あ、ホームレスか』と避けられたり警戒されると思って。でもA子さんは違ったんだ。偏見がない本当によい人だなと」
再びやる気を出して売り場に立った1ヶ月後、ビッグイシューを買いに来たA子さんに再会し交際を始めた。それをきっかけに運気が好転したのか、林さんの販売風景が新聞やテレビで取り上げられ、売り上げも上がった。
現在、林さんには常連客もつき、一日平均30~40冊の安定した売り上げを保っている。京都での販売時代に先輩から教えてもらった挨拶も「これだけは」と守っている。「最初に会った時と目が全然ちがう」と言うA子さんの言葉を裏づけるかのように、林さんは相手の顔を真直ぐに見つめて力強く話す。
「名古屋はいま販売員が少ないけど、これから僕もこの名古屋を愛して、何とか盛り上げていきたいと思ってるんです。たくさんの人にこの雑誌のことを知ってもらいたい」
そんな林さんの今年の抱負は、アパートを探して移り住むことだ。
※掲載内容は取材当時のもののため、現在と異なる場合があります。
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