販売者に会いにゆく (旧・今月の人)

広瀬貞臣さん

買ってくれなくてもいいんだ。 たまには顔だけでも見せに来てほしい

広瀬貞臣さん

京王線府中駅の南口を出て、けやき並木通りへと続く階段を下りると目の前に、さっぱりした男性が立っていた。毎朝10時から夕方4時半頃まで、ここでビッグイシューを売っている広瀬貞臣さん(61歳)だ。

「写真撮影に備えて散髪に行ってきたんだ」と、頭を得意げに撫で回してみせる。広瀬さんは身だしなみだけでなく、お客さんにもとても気を遣う。販売員になったばかりの昨年3月からしばらくは、12時から1時まで昼休みを取っていた。しかし、この時間しか休みを取れない会社員や、お昼の間に買い物を済ます主婦のお客さんが買えなくて困っていることに気づき、自分の昼休みを返上した。
「ここは人通りが少ないから、来てくれる人を1人でも大切にしないとね」

ところが頑張りすぎたせいか、11月には靴が脱げなくなるほどパンパンに足が腫れてしまった。そんな姿を見かねたお客さんの勧めで施設に入った広瀬さんは現在、そこから販売場所へ通っている。もともと几帳面な性格の広瀬さんは、昔から勤務態度も優秀だった。「若い時分の過ち」が人生を大きく狂わせるまでは。

広瀬さんは山梨県の甲府に5人兄弟の末っ子として生まれた。お父さんは身体が弱く、ずっと入院生活を送っていたが、広瀬さんがまだ20代の頃に亡くなった。中学卒業後、東京の立川にある中華食堂に就職した広瀬さんはそこで10年ほど働いた後、羽村の鉄工所に転職した。

「鉄工所でも10年近く働いた。そこでサラ金に手を出してしまったんだよね。お酒を飲みながら人と喋るのが大好きだったから、気持ちよく使っているうちに借入先が増えてしまって。取り立ての電話がしょっちゅうかかってくるようになって、会社にいられなくなった」
無断欠勤のまま、追われるように山梨へ戻った広瀬さんはそれから5~6年の間、人材派遣の仕事をした。

「車の組み立てから、スーパーに納品する陳列棚の加工まで何でもやった。その後、何年かは人夫出しの仕事で食いつないだけど、そのときにはもうサウナで寝泊まりするような生活をしていた」

やがて仕事をまったく回してもらえなくなった広瀬さんは、再び東京へ出てきた。目指したのは土地勘のある立川だったが、待っていたのは厳しい現実だった。
「山梨よりはマシだったけど思っていたほど仕事がなくて、こっちで知り合った仲間数人と野宿するしかなかった」

月に多くて2度、引っ越しなどの作業を手伝ってほしいと声をかけてくれる知人がいた。1日働いて1万円。収入源はそれだけだった。どうしても空腹をこらえきれないときは炊き出しの列に並んだ。そこで広瀬さんは、炊き出しを手伝っていた市議会議員の大沢ゆたかさんからビッグイシューのことを聞いた。

「そのときはやる気が出なくて断った。ところが知人から仕事の誘いがぱったり来なくなって、やってみることにしたの。ビッグイシューの魅力は自分の好きなやり方ができるところだね。売り方しだいで確実に収入が増えるし、不当なピンはねがないからやり甲斐がある」

路上では中高生から空き缶やペットボトル、爆竹を投げられたこともある。寝ている間に、靴や枕にしていたバッグを誰かに盗られたこともある広瀬さんだが、人を恨む気持ちはまったくないという。

「とにかくいいお客さんに恵まれてる俺は、本当に幸せ者だと思うよ。洗濯しただんなのコートとズボンを持ってきてくれる奥さんもいれば、中学生の女の子と両親の3人で応援してくれる家族もいる。いつも雑誌を入れている大きなリュックも、お客さんからのもらい物だよ」

多くの人に支えられて1日の売上げは10以上に伸びたが、発売日から10日が過ぎると1日10冊以下の日が続く。そんなときは、気の利いた常連さんがバックナンバーを頼みに来てくれるそうだ。

「そうやってずっと応援してくれていた常連さんが10日以上来なくなると、ものすごく淋しくなる。買ってくれなくてもいいんだ。たまには顔だけでも見せに来てほしい。いくら男だからって粋がっていても、心の中は淋しいもんだよ」

1日の楽しみは500ミリリットルの緑茶で割って飲むワンカップのみ。昔は好きだった競馬も、今はやらない。近くに東京競馬場があるが、「いつでも行けると思えば逆に行かなくて済む」そうだ。 定休日は特になし。競馬よりも、お客さんと交わす会話のほうが、今の広瀬さんの心を熱くするのだろう。

※掲載内容は取材当時のもののため、現在と異なる場合があります。

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