今月の人

鈴木文之さん

一番嬉しいのはお客さんと話すこと。 東京の人は冷たいんだろうと思っていたけれど、いい人もいるなー

鈴木文之さん

「今でも夜は寒くて寝られず、一晩中歩いていることもあります。これからもっと寒くなるのが心配です」

2006年11月の終わり、本格的な冬の訪れを前に、鈴木文之さん(40歳)は、そう言った。鈴木さんが凍えて夜を過ごす2度目の冬だ。

7月からビッグイシューの販売を始めたが、昼間の人通りが少なかったり、ほかの販売員と場所の調整がつかず御成門、有楽町、品川と売り場を移り、11月に入ってからちょうど空きができた恵比寿駅西口に移ったばかり。

恵比寿では1日30冊ほど売れるようになった。約3300円の収入のうち、コンビニ弁当2個で1000円、缶ビールは1本だけ、頻繁には通えないが銭湯の入浴料金が430円。「ビッグイシューを始めてご飯が買えるようになりました。お金はなかなかたまらないですね」と鈴木さんは言う。今は、荷物を持ち歩いて、都内の公園で暮らしている。

鈴木さんは、北海道札幌市の近くで生まれ育ち、37歳になるまで北海道で過ごした。地元の中学校を卒業後、「学校の勉強はあまり好きではなかったし、働いて自立しようと思って」印刷会社に就職。仕事はきつく、作業中、機械に袖を挟まれて、危うく引き込まれそうになったこともあった。それでも2年働いて、生まれつき病気を抱えていた心臓の具合が悪くなって辞めた。2年ほど静養し、19歳で入院して手術を受けた。

次に就職したのも印刷会社。印刷機械のオペレーターを担当していたが、職場の人間関係が原因で、1年半で辞める。「仕事が遅い」と執拗ないじめにあった。20人ほどの規模の会社で、同年代の社員は少なく、社内に相談できる人もいなかった。

景気は悪かったが、その次も同規模の印刷会社の仕事に就いて、今度は、20代半ばから5年働いた。「仕事が空しくなって」辞めた。

それでも次に就職したのも印刷会社だった。仕事もこれまで同様、機械のオペレーター。4年が過ぎたとき、30代半ばで辞めた。「印刷会社で働くのは、もう嫌になって」いた。景気はさらに悪くなっていた。

それからは、建設現場で日雇いの仕事に。2年ほど働いて、「いつまでもこうしてはいられない」と、37歳のときに、半年契約の期間工として北関東の自動車工場に働きにきた。仕事は、塗装前の車のボディの凹凸に手でやすりをかけること。ベルトコンベアの流れ作業で、自分受け持つエリアの間に作業を終わらせ続けなければならない。

勤務時間は、朝8時から夜8時までと夜8時から翌朝8時まで、12時間労働の昼夜2交代制。残業代を入れて月収は30万円ほどだったが、立ち仕事で、休憩時間以外は、気の休まる暇がなかった。期間満了まで働き続けて「ボーナス」をもらうのは3割くらいだ、と仕事仲間から聞いた。鈴木さんも期間満了に遠く及ばず、疲れ果てて辞めた。寮を出なければならなかった。そのまま東京へ向かい、公園で暮らすようになる。

「その後東京に来て、公園にいました。冬だけど、布団はなくて夜は外で凍えていましたね。食事は、炊き出しです。疲れて、仕事をする気がなくなってしまって」

実家には、両親と妹がいるが、帰ろうという気にはなれなかった。北海道にいた頃にできてしまった50万円ほどの借金もあって、「迷惑をかけたくない」とも思った。公園でビッグイシューのスタッフから声をかけられたとき、所持金は限りなくゼロに近かった。

鈴木さんは、「今、一番嬉しいのはお客さんと話すことです。お客さんが、頑張ってくださいと言ってくれるから。東京の人は冷たいんだろうと思っていたけれど、いい人もいるなー」と言う。

今、一番したいことは?

「外は寒いし、まずお金を貯めて、部屋に入って、親に元気だよと知らせてあげたい。40歳だからいつまでも一人でいるわけにもいかないし、結婚もしたいですね。いずれ。ビッグイシューをいつまで続けるかはわからないけど、また、仕事をする気が出てきました」

お客さんとのやりとりを通じて、長く機械を相手に仕事をしてきた鈴木さんのなかに、新しい場所へ歩き出す力が蓄えられつつある。

※掲載内容は取材当時のもののため、現在と異なる場合があります。

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