販売者に会いにゆく (旧・今月の人)
川上茂光さん
後悔はしない。その日その日を生きることが一番大事なんじゃないか
川上茂光さん(54歳)は、東京の都心をぐるりと一周する山手線の真ん中あたり、病院や大学や出版社が密集する飯田橋で、ビッグイシューを販売している。
週替わりでJR飯田橋駅の西口と東口に交互に立っているのは、どちらの売り上げが多いか統計を取っているから。元々は西口が定位置だったが、どちらが有利かを自分で確かめたくなったのだ。使い込んだメモ帳には、1時間ごとに、一度に売れた冊数、お客さんの性別などを4色ボールペンで色分けして記録する。
「つけてないと、仕入れの予定も立たないですからね」
淡々と話す川上さんがビッグイシューの販売を始めたのは、今年の3月。日払いの仕事がなくなったとき、炊き出しの帰りに募集のビラを見たのがきっかけだった。
「ノルマがないって書いてあったから。でも、会社から決められるノルマはない代わりに、自分でこれだけ売るぞって決めてやらなきゃならないけれど」
売り上げは1日平均20冊。そこから、カップラーメンやおにぎり、休憩のときの缶コーヒー、夜には缶チューハイと100円以下のつまみを買う。野菜不足を補うために時々野菜ジュースも飲むようにしている。暮らしているのは、新宿の東京都庁近くの路上だ。
東京の下町で生まれ育った川上さん。子供の頃は、普通に勉強して、近所の友達とめんこをしたり、セミ取りや魚釣りをして遊んだ。
「ただ、いたずらっ子で、きかん坊でした。何か言いつけられても自分で納得しないと頑としてきかないところがあって、親も随分手こずったようですよ」
中学を卒業後、鉄工所での塗装の仕事などを経て、18歳で自衛隊に就職。職安で自衛隊の募集員から声をかけられ、「仕事もないし、給料もらえるし、公務員も悪くないか」と思った。海上自衛隊の航空隊に配属され、飛行機の整備をしていたが、20代半ば、三曹(三等海曹)のときに、自衛隊を離れる。
「自分の可能性を試したかったんです。公務員はいくら頑張っても、ボーナスの額まで決まっている。民間企業なら結果を出せば給料も上がる。そのほうがいいかな、と思って」
大型二種免許を取って、長距離トラックの運転手になった。オイルショック後の景気後退から、経済が回復しつつあった70年代後半のことだった。眠気に耐え、決められた時間までに、鉄骨などを全国各地へと運んだ。責任を感じるやりがいのある仕事だった。少し当てが外れたのは、収入はよいがそれなりに使ってしまって、貯金ができなかったこと。
いくつかの会社を渡り歩いて運転の仕事をしていたが、40歳目前で運転免許を失効してしまった。うっかりして、免許の書き換え手続きを忘れていたのだ。再度、教習所に通う経済的な余裕はなかった。
その後は、工場などで働くが、倒産や給料の引き下げで40代半ばでアパートを出ることに。バブル崩壊後の平成不況のまっただ中。家族と折り合いが悪く、実家へは足が遠のいていた。それから10年ほど、人材派遣会社に登録して、引っ越しやビルの移転作業などをしてきた。仕事があれば、夜はサウナや漫画喫茶などで過ごすことができたが、年齢のこともあるのか、今年に入って、いよいよ仕事の声がかからなくなった。
「今は、とにかくビッグイシューを売って、資金を貯めて、アパートを借りたいんです。住所をきちんともってから就職活動をします。就職に有利な資格も取るつもりです」
― 振り返って、あのときこうしていれば、と思うことはありますか?
「私はね、後悔はしないことにしているんですよ。過去は過去。将来のことをくよくよ考えても仕方がない。その日その日を生きることが一番大事なんじゃないかと思います」
都内で大きな花火大会が行われる日の夕方、飯田橋駅前の交差点。浴衣を着た女性がちらほらと通り過ぎていく。「ビッグイシューいかがでしょうか」 ― 信号が変わるタイミングを見計らって、穏やかに独特の節回しで声をかける。接客の経験はないものの、丁寧な応対と笑顔が基本、と話していた川上さんが、急に帽子を目深にかぶり直した。
「今の人は、日払いの仕事で一緒だったんです。この先で移転の仕事があったんでしょうね。気がついたら向こうも気まずいでしょうから」
最新号を入れておくファイルの向こうで、「顔も隠せて便利ですね、これ」と、笑った。そして、すぐにまた、真っ直ぐ前を見て、川上さんは、淡々とビッグイシューを売る。
※掲載内容は取材当時のもののため、現在と異なる場合があります。
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