今月の人

飯尾佳史さん

祭りが近づくと血が騒ぐ。人情、礼儀、社会のルール、大切なことはみんな祭りから学んだ

飯尾佳史さん

人通りの多いJR新宿駅南口の西新宿1丁目交差点でビッグイシューを販売しているのは、50代、60代が中心の販売員の中でもとりわけ若い飯尾佳史さん(37歳)だ。飯尾さんが販売員になったのは創刊からまもない2003年11月のこと。国内でのビッグイシューの立ち上げに大きく貢献した一人だ。今では朝8時から夕方5時半までの間に、多いときで60部を売り上げる。

2004年7月には、スウェーデンで開催されたホームレス・サッカー・ワールドカップにも出場した。試合中に目の異常を感じ、病院で網膜剥離と診断されたときも、眼帯に目玉を描いて周囲を笑わせたという逸話を持つお茶目な飯尾さんだが、その半生は波乱に満ちている。

四国にある老舗の玩具店に長男として生まれた飯尾さんは、幼い頃から店を継ぐつもりでいた。ところが将来を心配したお母さんの反対に遭い、福岡の大学へ進むことに。結局3年で中退した飯尾さんは地元に戻り、食品スーパーに3年半勤めた後、家業を手伝いながら職を転々とした。ちょうどそんな折、お父さんが借金を苦に自殺。変わり果てた姿を最初に発見したのは飯尾さんだった。

「2階の倉庫で物音がするけんさ、飼い猫が遊びよるんかなあと思ったら、おやじやった。あの頃は自分の気持ちを制御できんようになって、酒に逃げとった」

酒で寂しさを紛らわす毎日に嫌気がさし、そろそろ落ち着きたいと思っていた飯尾さんは4つ年上の女性と出会う。これが、さらなる不幸の始まりだった。

「彼女には離婚歴があって二人の子供もおったけど、気のあるそぶりを見せるから、一緒になる気で援助をしてやったんよ。ところが彼女は、返せるときがくれば返せばええくらいに軽くしか考えてなかった。それがとどめを刺したね」

ふと我に返ると、手元には莫大な借金だけが残っていた。昼夜を問わない厳しい取り立ては、勤務先のカラオケボックスにまで及んだ。31歳の春、死ぬつもりで家を出た。2週間さまよったが死にきれず、家に戻った。もう一度やり直そうと運送の仕事を始めたが、先の見えない返済に行き詰まり、その年の8月、再び家を出た。向かった先は学生時代を過ごした福岡だった。あてなどなかった。路上で知り合った4人の仲間と協力して、賞味期限切れの弁当などを探してきては、その日その日をどうにかしのいだ。

姫路の飯場に入ったことを機に関西へ移った飯尾さんは、京都でアルミ缶集めを始めた。ここでもすぐに仲間ができたが、最年少の飯尾さんはいつも使いっ走りをさせられた。グループを抜けたいと考えていたちょうどその頃、以前、取材を受けたことがある大学の先生からビッグイシュー創刊の話を聞いた。

「最初は半信半疑やったけど、実際に販売を始めてみたら、忘れかけてた懐かしい感覚が蘇ってきたんよね。お客さんの目を見て『ありがとうございました』ってお礼を言う。これこそが実家のおもちゃ屋やスーパーで昔やっとった、俺が本当に好きな仕事やないかって」

お客さんと接する喜びに目覚めてからの飯尾さんは、一冊でも多く売るために様々な工夫を試みる。最新号のアピールしたいページを切り抜いてオリジナルの看板をつくったり、壁掛け用の網を利用して、売れ筋のバックナンバーを展示したり……。そしてときには、お客さんとのうれしい交流もある。

「会社員の男性から、銭湯の風呂券を10枚も差し入れしてもらったこともあるよ。あのときは本当に助かった。雑誌を買わんときも、前を通るたびに毎日挨拶してくれるお客さんもおるしね」

温かい人情に触れると、飯尾さんは故郷のだんじり祭りを思い出す。人情の大切さや礼儀作法、社会のルールなど、大切なことはすべて祭りから学んだ。

「こんな境遇になっても人としての道を踏み外さんかったのは、故郷の祭りに恥じない生き方をしたいという気持ちがあったから。俺にとって祭りは、生きてることを再確認する方法やった。今も祭りの時期が近づくと、血が騒ぎ出すんよね。故郷ではキンモクセイが匂い出したら、もうすぐ祭りやなあって思いよったけど、東京では季節も感じられんね。できることなら死ぬまでにもう一度、故郷に帰って御輿(みこし)をかつぎたい」

飯尾さんにはもう一つ、夢がある。
「貯金ができたら、日本全国の祭りを巡る旅をしながら、40歳からの自分らしい生き方についてじっくり考えたい」
40歳まであと3年。人生の第二幕は、今明けたばかりだ。

※掲載内容は取材当時のもののため、現在と異なる場合があります。

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