販売者に会いにゆく (旧・今月の人)

神山英夫さん

現場監督や上司はいないけど、お客さん一人ひとりから育ててもらっている気がするんだよね

神山英夫さん

JR恵比寿駅西口と日比谷線1番出口のちょうど中間に、ビッグイシューの大きなポスターを2つ連ねて掲げ、「このポスターを貼ってから売り上げが伸びたよ」と語るのは、今年2月から販売員になった神山英夫さん(58歳)。朝8時から夕方6時までほとんど立ち通しのため、足はパンパンに張り、腰も痛む。でも、お客さんから温かい励ましの言葉をもらうと、そんな疲れも吹き飛ぶそうだ。
「20代の女性から、手作りのシュークリームをもらったこともあるよ。こんなに物が溢れて、ちょっとお金を出せば何でも買える時代に、わざわざ作ってくれたことが本当にうれしかった」

1ヶ月ほど前にも、60歳くらいの小柄な女性から1万円をもらってしまった。
「最新号とバックナンバーを1冊ずつ買ってくれたお客さんが、やけに膨らんだ消費者金融のポケットティッシュをくれてね。キャンディーでも入っているのかと思って開けてみたら、きれいに折りたたんだ千円札が10枚も出てきた。返そうと、驚いて顔を上げたときには、人混みに紛れて姿が見えなくなっていたんだよね」

添えられていた手紙には名前もなく、「今日、人間ドックの検査結果を聞きにいったところ何も異常がなかったので、お祝いのおすそ分けをします」とだけ書かれていた。その慎ましやかな心遣いに、神山さんは強く胸を打たれたという。「お礼を言いたいんだけど、どうしても顔を思い出せなくて……」

神山さんは栃木の生まれだ。中学1年のときに家族で埼玉へ越してくるまでは、両親と3人で栃木の長屋に住んでいた。
「戦争から帰ってきた父は鉱山で働いてた。そこらじゅうが焼け野原で、他に働く場所もなかったからね。母は家で内職みたいなことをしていた」

中学を卒業した神山さんはパン屋で3年働き、その後、和菓子屋、ラーメン屋、給食センターなどを転々とした。30歳で製本の仕事に就いたが、人間関係がうまくいかず、48歳のときに辞職した。
「それから路上生活が始まったんだけど、最初のうちは定期的に引っ越しのアルバイトがあったから、たまにはサウナやカプセルにも泊まれたんだよね」

ところがあるとき、朝が早い宅配便の仕分け作業への配置転換が言い渡され、「低血圧で朝が弱いから」と断ったら、「年齢が高すぎて、これ以上の引っ越し作業は無理」という理由で解雇された。
「そこからの3年間が一番つらかったね。寒くて靴下を買おうにも、そのお金がない。炊き出しがあると聞けば新宿、渋谷、上野、どこへでも行った。時間が経って廃棄されたハンバーガーを探したり、仲間から食べ物を分けてもらったりもした。あの頃は170センチの身長に対して、体重が53キロしかなかった」

そんなとき、教会に通う仲間からビッグイシューのことを聞いた神山さんは、わらにもすがる思いで雑誌を手にした。初めのうち、2週間に200冊程度だった売り上げは400冊にまで倍増した。
「販売員になって一番うれしかったことは1日3食、お金を出して物を食べられるようになったこと。100円ショップに行けば生野菜だって売っているし、定食屋で納豆定食だって食べられる」

夜になると、神山さんは高速道路の高架下で眠る。音は少々うるさいが、誰かに追い出される心配もないし、雨も降り込まないのでゆっくり眠れるそうだ。
「寝る前に、NHKの『ラジオ深夜便』で、歌謡曲を聴くのが何よりの楽しみ。NHKはフルコーラスで聴かせてくれるところがいいよね」
神山さんは大の音楽好き。ビートルズやカーペンターズ、舟木一夫、西郷輝彦、吉田拓郎など、青春時代にはあらゆるジャンルの流行歌を聴いた。
「どこかの下町で、古くてもいいから屋根のあるアパートを借りて、あの頃に聴いた名曲をもう一度、飽きるまで聴いてみたいねえ」

もともと人から指図されたり、チームで仕事をしたりすることがあまり得意ではないという神山さんは、すべての段取りを自分で決められる今の仕事を「天職」のように感じている。
「現場監督や上司はいないけど、お客さん一人ひとりから育ててもらっている気がするんだよね。その恩に報いるためにも、少しでも長く販売員を続けていきたい」。神山さんにとっては、お客さんと触れ合う一瞬一瞬がかけがえのない宝物だ。

※掲載内容は取材当時のもののため、現在と異なる場合があります。

この記事が掲載されている BIG ISSUE

52 号(2006/06/15発売) SOLD OUT

特集怒りの技術

今月の人一覧