販売者に会いにゆく (旧・今月の人)

永島幸生さん

今よりもよくなろうという気持ちを自分からもたないと、絶対にダメだよ

永島幸生さん

日が傾き、家路を急ぐ会社員の姿が駅にちらほら見え始める頃、商売道具であるビッグイシューを手にした永島幸生さん(54)が姿を現す。永島さんの販売場所は、JR川崎駅の東口を出て京急の駅へと向かう途中にある。販売時間は夕方5時半から夜8時半までの3時間。平均すると1日に15、6冊の雑誌が売れる。夜が深まると、蹴飛ばしたり殴り合ったりという酔っぱらいの喧嘩が目の前で繰り広げられることも珍しくないが、そんな光景にも今ではすっかり慣れたという。 「たまにからまれることもあるけど、素知らぬ顔をして『ビッグイシュー、ビッグイシュー』と売り口上を続けていれば、いつのまにかどこかへ消えてしまうよ」と、平気な顔で言ってのける。

販売時間は3時間だが、永島さんの1日は忙しい。じつは永島さんは、川崎を拠点に活動を続けるNPO法人「川崎水曜パトロールの会」が主催する清掃やパトロールに、2年前から参加している。活動内容は街路樹の刈り込みから公園の花壇の手入れ、道路に捨てられた粗大ゴミの撤去作業までと幅広い。この作業を永島さんは週に4、5日行っている。

そして土曜日の昼と水曜日の夜には、路上生活者を一人ひとり訪問して回るパトロールがある。取材の日はちょうど土曜日だったため、私も午後からパトロールに同行させてもらった。永島さんはこの日、事務所から少し離れた運動公園と河川敷の2ヶ所を担当した。青いビニールシートで覆われた小屋を一軒一軒ノックして、「水パトですが、お変わりありませんか」と声をかけていくと、奥から小さな返事が返ってくる。会話を通して健康状態、収入や相談したいことの有無などを聞き取り、最後にみかんを渡しながら、「また来ますね」と声をかける。「はい、ありがとう。ご苦労様」と明るく返す人もいれば、「今度来たときには死んでるよ。早く死ぬよう努力しますから」と、投げやりに言い放つ人もいる。

パトロール中に衰弱して動けなくなった人を発見したときは事務所まで運び、入浴を済ませた後、入院の手続きをする。しかしパトロールだけでは限界があり、この冬だけでも何人もの人が亡くなった姿で発見された。そのたびに、自らも路上生活を余儀なくされている永島さんは、やりきれない気持ちでいっぱいになる。「今よりもよくなろうという気持ちを自分からもたないと、絶対にダメだよ。こういう生活を続けていると、考え方をよほど前向きにもっていかない限り、悪い方へ悪い方へと流されてしまう」

永島さんが路上生活に入ったのは今から3、4年前のこと。ビッグイシューの販売員になる昨年9月まではアルミ缶集めをしていた。川崎の業者は東京の2倍近いお金でアルミ缶を買い取ってくれるため、この町には、缶で生計を立てている人がたくさんいる。「缶はお金になるけど、拾い集めているときに住民からいやな顔をされるのがつらかった。でも、ビッグイシューを売り始めてからは住民の見る目も変わり、『がんばってください』と声までかけてもらえるようになって本当に幸せ」

もともと北九州の若松で生まれた永島さんは、「下駄づくりや刃物研ぎなど、いくつもの職を転々とした器用貧乏な頑固おやじ」とお母さん、そして3人のお姉さんに恵まれていた。中学卒業後、大阪に集団就職して鉄工関係の仕事に就いたが、まもなく上京。東京では、運送会社に30年近くも勤務した。「その後、清掃関連事業を行う会社に転職したけど、仕事が遅かったせいでクビになり、住む場所を失いました。やけっぱちな気持ちで缶集めをしていたときに出会ったのが、今も心のよりどころになっている"川崎水曜パトロールの会"だったんです。ビッグイシューの販売員になったのも、ここからの紹介でした」

しかし、多くのホームレスが生活している川崎市の住民感情は複雑で、地域に貢献したからといって、すぐに受け容れてもらえるかというと、そう簡単にいくものでもないらしい。「いくらいいことを重ねても、ほかの野宿者が何か少しでもよくないことをすれば、やっぱりホームレスは……といった目でひとまとめに見られる。路上生活をしている限り、ホームレスというくくりからは抜け出せないんです」

個人としてなかなか見てもらえない矛盾に悩みながらも、住民と心からわかり合える日がいつか必ず来ることを信じて、永島さんは今日も雑誌の販売と清掃活動に精を出す。

※掲載内容は取材当時のもののため、現在と異なる場合があります。

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