販売者に会いにゆく (旧・今月の人)

オーストリア『カプファマケン』販売者 ラモナ

革命、貧困を経て、乳がんの治療中
「私は息子と娘のために、強くならなければ」

オーストリア『カプファマケン』販売者 ラモナ

「ここのところ大変なことが続いています」と『カプファマケン』の事務所で腰かけ、お茶をかき混ぜながらラモナは語った。上手なドイツ語を話す。最近スカーフを頭に巻き始めた彼女は「治療で髪を失うと、こんなに寒く感じるのね」とはにかんだ笑みを浮かべる。
 ハンガリーとの国境80 kmほどのところにあるルーマニアの町、ティミショアラ出身のラモナ。1989年に起こったルーマニア革命(※)により、当時18歳の彼女の生活は一変した。
「それ以前は食べるものと住む家は確保されていました。私たち4人のきょうだいと両親には2リットルの牛乳と大きなパンの塊が毎朝支給されることになっていたのです。両親はそれを受け取るために毎朝4時には列に並んでいました。量は多くなかったけれど、私たちには十分でした」
 革命後、西側で手に入るものは何でも手に入るようになった一方、「仕事を見つけることがとても難しくなりました」というラモナ。やがてルーマニア社会の経済格差が広がり、ラモナ一家は貧困状態に陥った。
 銃弾が飛び交う革命のただ中で気の抜けない日々が続き、一家は隣村の叔母の家に逃げ込んだ。ラモナの父だけは仕事のため家に残ったが「そのせいで軍に腕を撃たれてしまいました。ひどい傷だったけれど、幸い生きながらえたんですよ」。 今でも故郷には銃痕の残った建物が数多く見られるという。
 12年前に息子が産まれた時、ラモナが真っ先に考えたことは「この子には違った人生を歩んでほしい。この町ではこの子に将来がない」ということだった。
 その思いから、息子が2歳の時に一家は移住を決意。オーストリア北部のリンツで小さなアパートを見つけることができた。夫は郵便局で働き、ラモナは清掃員や調理補助として働いた。
 だがラモナの母が病に倒れ、一家は2018年に再びルーマニアに戻ることを決意する。その2年後には娘のヴァネッサも生まれたが、その喜びも長くは続かなかった。今度はラモナが乳がんを患っていることが判明したのだ。
 医療保険に加入していなかったラモナ。「故郷にいたのでは、命を失ってしまうかもしれない」と決意し、夫と息子を残して、娘と二人で再びリンツに戻ってきた。チャリティ団体の支援により、月1回の化学療法を受けており、もうすぐ右胸の腫瘍を摘出する予定だ。
 しかし、近年は家賃が上がり、物価高に悩む日々が続く。お金を稼ぐため、健康が許すかぎり『カプファマケン』を街頭で販売しているが、1日15冊がやっとだという。
 それでも事態は良くなっていると感じている。
「多くの人の助けを借りてここまできました。幸運なことに、調子がすごく悪い時にはヴァネッサの面倒を見てくれる友人もできた。私は息子と娘のためにも、強くならなければ」
※ 1989年12月、ルーマニア社会主義共和国のニコラエ・チャウシェスク独裁政権に対する抗議運動に端を発した革命。

『カプファマケン』
1冊の値段/3ユーロ(そのうち、1.5ユーロが販売者の収入に)
発行頻度/月刊(合併号あり)
販売場所/リンツ市内の路上、カフェなど

Text: Daniela Warger, Kupfermuckn/INSP/編集部

Photo: Daniela Warger

※掲載内容は取材当時のもののため、現在と異なる場合があります。

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