販売者に会いにゆく (旧・今月の人)

小野一さん

人型広告を見て「これ、おじさんだ!」と言われ、 自分を見てくれている人の存在に感激

小野一さん

JR立川駅北口で販売を始めて約1年になる小野一さん(62)が、大きなお腹を揺すって「わっはっは」と笑うと、周囲がパッと明るくなる。

立川にいる販売員は今のところ、小野さん一人だけ。励まし合う仲間はいないが、生来の親しみやすいキャラクターが幸いして、客待ちのタクシー運転手や街ゆく人ともすぐに打ち解け、会話が弾む。

立川から、ビッグイシューの事務所がある高田馬場までは電車で30分以上かかる。毎朝雑誌を仕入れに行くのは大変なので、現在は大沢ゆたか市議会議員が事務所を仕入れ先として提供してくれている。そのおかげで、出勤時間帯の朝9時前には販売場所にスタンバイ。初めの頃は10部ほどだった売り上げも右肩上がりにぐんぐん伸び、今では「1日の目標30冊」を午後3時までに売り切ってしまうことも珍しくないという。と、パワフルな小野さんだが、見た目の豪快さとは裏腹に意外と少食。「食事はほとんどパンとコーヒーだけで済ませてしまう」のだとか。その割には恰幅がいい。不審に思い、いつも持ち歩いている〝おやつ袋〟の中身を拝見させてもらって合点がいった。ハムやシャウエッセンが何袋も入っている。おなかがすくと、これを生のまま丸かじりするそうだ。なかなかワイルドなおやつである。

小野さんは、もともと北海道の出身。「若い頃、土方仕事をするために集団で上京して、建設現場の足場を組んだり、いろいろやったんだけど、仲間との折り合いが悪くて結局辞めちゃった」

それからは、街に捨てられたアルミ缶を拾ってはお金に換え、生活の糧にした。その間、「いつも飲んだくれている仲間から事あるごとに金の無心をされたり、公園で寝ていた仲間が若いあんちゃんから暴行された話を耳にしたり」と、つらいこともいろいろあった。炊き出しの列に並んでいた小野さんに、ビッグイシューのスタッフが声をかけたとき、すぐに販売員をやろうと決心したのも、「これをやっていれば何とかなるかもしれない」と、わらにもすがる思いからだった。

酒もタバコもやらない小野さんのささやかな楽しみは、たまの休みに多摩川競艇や京王閣競輪場へ遊びに行くこと。「もちろんお金は賭けない。ただ雰囲気を味わいに行くだけだよ」
そしてもう一つの楽しみが、芯から冷えた体を温めに、サウナに行くことだ。「サウナに出入りするあんちゃんたちも、たまにビッグイシューを買ってくれる。いいお客さんなんだ」

実は小野さん、ビッグイシューの広告モデルという大役を果たしたことがある。広告代理店オグルヴィ・アンド・メイザー・ジャパンの協力により、昨年11月から12月の1ヶ月間、横浜市地下鉄関内駅に出現した人型広告のモデルである。地面に寝そべっていたホームレスがむっくりと起き上がり、両足で大地に立ち、ビッグイシューを手に自立を目指す姿をシルエットだけで表現した広告が、100メートルにわたって駅の壁面を飾り、マスコミの間でも話題になった。

人のシルエットは手や足の位置がわずかにずれただけで印象がまったく変わってしまうため、何度も撮り直しが行われ、撮影は半日以上に及んだ。しかしその甲斐あって、できあがった広告は、逆境をはねのけて前向きに生きようとする小野さんの意志が、全身から感じられるものとなった。この広告は、ビッグイシュー40号の裏表紙にも掲載された。「広告を見た常連のお母さんから『これ、おじさんだ!』って言われたときは、自分のことをちゃんと見てくれてる人がいるんだって、本当にうれしくなったよ」「本物のモデルになれる素養があるんじゃないですか」と言うと、小野さんは「そんな高望み、とんでもないよ。毎日メシが食えるだけで幸せだと思わなきゃ、バチが当たる」と、どこまでも謙虚だ。

小野さんは、今の生活に不満はないという。「だから今さら、故郷の北海道に帰りたいなんて思うことも全然ない。ただ、ときどき無性に、おいしい鮭を食べたくなることがあるんだ。こればっかりは道産子のさがだね」。
過去は振り返らない。目の前にある現実だけを見据えて地に足をつけ、「1日の目標30冊」を着実に売りさばいていく。まさに"自立の象徴"と呼ぶにふさわしい生きざまを見たような気がした。

※掲載内容は取材当時のもののため、現在と異なる場合があります。

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