販売者に会いにゆく (旧・今月の人)

越澤保幸さん

夢は芸能界デビュー! 新宿の路上から大きな表舞台をめざす

越澤保幸さん

1日の平均乗降客数は日本一。朝から晩までひっきりなしに人が行き交うJR新宿駅の新南口に、越澤保幸さん(50)は今年の2月から立っている。銀行員、芸術家、肉体労働者、官公庁職員……。職業も格好もじつにさまざまな人が入り乱れて歩く。そんな新宿の雑多さを、越澤さんはこよなく愛している。「義理人情に溢れる下町もいいけど、いろんな人と出会うチャンスが転がっている新宿がやっぱり好き」
雑踏を抜け出し、こちらへ近づいてくるお客さんの姿を見つけると胸が高鳴る。「売り文句がマンネリ化してくるとね、お客さんの反応も悪くなる。だから『路上でしか売られていない』『イギリス生まれの』と枕詞のバリエーションをどんどん増やして、メリハリをつけています」

さらに最近は、最新号の内容を盛り込むことも怠らない。それでも1日に売れる部数は15~35冊と波が激しい。そんな越澤さんを陰で支える常連さんもいる。つい最近もあるご夫婦から三鷹にある自宅へと招かれ、ごちそうしてもらった。「殺伐とした世の中で、こんなに温かく支援してもらえる私はとんでもない幸せ者なのかもしれません」

しかし、ここに至るまでには長い道のりがあった。越澤さんは東京・練馬に4人兄弟の末っ子として生まれた。父は公務員、母は専業主婦というごく普通の家庭だった。
もともと人が好きだった越澤さんは営業、水商売など、人と接する仕事を中心に職を転々とした。そして5年前、警備員をしているときに体を壊し、やむを得ず会社を辞めた。それから2年くらい病院に通いながら、時々アルバイトをしてはフラフラしているうちに貯金は底をつき、住んでいるアパートを追われた。八年間、ともに暮らした内縁の妻とも別れた。

気がつくと、池袋の路上にいた。路上生活をする仲間から教えられて上野公園に行き、初めて炊き出しの列に並んだ。「テレビで炊き出しの様子を見て大変そうだなあ、なんて思ったことはあったけど、まさか自分がこうなるとはね」
生計は、古雑誌の回収や日雇いの仕事などで立てた。人に誇れる仕事をしていないという引け目が、越澤さんの顔をどんどんうつむかせていった。「あの頃は真っ暗闇を手探りで、やみくもに這い回っている感じだった。でもビッグイシューを売り始めてからは、闇の向こうに確かな光が見えてきました」

販売員になるまでには迷いもあった。越澤さんは炊き出しが縁で、ホームレスを支援している東京中央教会に通うようになった。そこに通う販売員から「一緒にやろう」と誘われて、半年悩んだ。「販売員になれば大勢の人に顔をさらして、自分がホームレスであることを公言することになる。昔の友達や兄弟に見られないとも限りませんしね」

それでもあきらめずに説得し続けてくれた彼の熱意に動かされ、覚悟を決めた。販売場所は学生の頃から大好きだった新宿を選んだ。新宿には10人近い販売員仲間がいる。仲間の存在は今も大きい。毎日冗談を言いながら、売り上げを競い合う。越澤さんはいつも真ん中くらいだ。「私の夢は、ビッグイシューを日本一メジャーな雑誌に育てること。今は東京と大阪だけですが、北海道から沖縄までまだまだ売っていく余地はあるはず。そのためにはまず自分が自立して、手本を示さないとね。それからもう一つ……」

そう言うと越澤さんは少しはにかみながら、少年の頃からあきらめきれずにいる夢を教えてくれた。「芸能界にデビューしたいんです」。高校時代は演劇部に所属。俳優を目指して、劇団やタレント養成所に通っていた時期もあった。「落ちるところまで落ちて、二度と日の目を見ることはないと思っていたけど、こうしてもう一度人前に立つチャンスが与えられた。販売でつけた自信をバネにもっと大きな表舞台に立ちたい。そうすれば、ビッグイシューをみんなに知ってもらうこともできる。そんな仕事があれば、無償でも引き受けたいですね」

取材のあとには写真撮影がある。「写真撮影は販売場所でいいですか」という編集スタッフの問いに、「いいよ。ただし一つだけ条件がある」と越澤さん。一瞬、スタッフの間に緊張が走った。「かっこよく撮ってよね」。芸能界デビューのチャンスとなるかもしれないだけに、写真うつりにはこだわる。

※掲載内容は取材当時のもののため、現在と異なる場合があります。

この記事が掲載されている BIG ISSUE

37 号(2005/10/15発売) SOLD OUT

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