販売者に会いにゆく (旧・今月の人)

加藤和正さん

国立駅前のちょっとした名物、加藤さんの少年のようなキラースマイル

加藤和正さん

「♪♪新宿、池袋、渋谷~~ただいま好評発売中のビッグ~~イシュー~~1冊200円~~、いかが~~ですかぁ~~。♪♪毎月1日と15日に発売されるビッグ~~イシュー、いかが~~ですかぁ~~♪♪」

加藤和正さん(66歳)の独特の節まわしが始まると道行く人がパッと振り返る。昔、民謡で鳴らした喉が今、大いに生かされている。

「最近、子供たちがそばで真似するんですよ……。子供っていうのはよく見ているからねぇ」

とにかくよく売る。加藤さんが販売を始めたのは、今年2月下旬のこと。1日平均8冊から、3月、4月は20冊、5月、6月は30冊、7月には1日平均40冊にまで売り上げを伸ばしてきた。ビッグイシューが誇るカリスマベンダーの一人だ。

販売場所は、国立駅前。東京の西側に位置し、一橋大や国立音大などがある学園都市、住宅街でもある。大きなターミナル駅が中心のビッグイシュー販売場所としては、異色だ。

「大きな駅だと酔っ払いに絡まれたりするでしょう。それが嫌でねぇ。国立は文教地区だから、字を読む人が多いと思った。それでどうしてもここで売りたい、って志願したんですよ」

国立に隣接する立川生まれという土地勘も手伝ってか、加藤さんの予想は見事的中。人ごみにまぎれにくく、覚えてもらいやすいというメリットを生かし、今では国立駅のちょっとした名物になっている。励ましの手紙をくれる人、差し入れを持ってきてくれる人もいる。それも一人や二人ではない。取材当日も、お客さんからもらったという手づくりの焼肉弁当を大切そうに見せてくれた。

「いつも寝泊りしてる公園に帰ったら、ゆっくり食べるよ」と歯のない口を大きく開けて人懐っこく笑う。少年のようなキラースマイルにつられ、こちらもいつの間にか微笑んでいる。

最近、“加藤さん渡英疑惑”なるちょっとした“事件”が起きた。ある常連さんに「夏休みはどうするの?」と問われた加藤さん、冗談で「ビッグイシューの本場ロンドンに招かれているから、1ヶ月くらい休むよ」と答えた。真に受けた常連さんから、この“ビッグニュース”は瞬く間に広まり、「その間の販売はどうするのか?」など大阪の本部にまで問い合わせがあったという。

「いやぁ…まさか本気にすると思わなかったもんで。ゴメンナサイ」と笑う。

1936年、立川市のクリーニング店の長男として生まれた加藤さん。外で身体を動かすより、一人静かに絵を描いたり、思索にふけるほうが好きなおとなしい少年だったという。夢は絵描きになることだった。しかし、家業を継ぐため、美術学校を断念し、中野の商業高校へ進学。卒業後、クリーニング店を手伝うが、性に合わず、結局、家を出てしまう。その後、湯河原、熱海、箱根などの温泉旅館で番頭として働く。湯河原では、近隣の美しい自然をスケッチした栞をお客さんにお土産としてプレゼントし、とても喜ばれていたという。しかし、山の気候が合わないと箱根の旅館を辞めてからは、仕事としてサッシや電線を拾う日々。古紙回収業をやっていたこともあるが、仕事はどんどん減っていき、やがて路上へ。今も公園暮らしは続いているが、ビッグイシューを売り始めてから、43キロしかなかった体重も55キロに増えた。

販売の合間を縫って、駅周辺の景色や季節の花々などをデッサンするのが、今、一番の息抜き。「絵の具がねぇ、あるといいんだよね、本当は。得意なのは水彩なんだ」。描いた絵は、子供たちやお客さんにプレゼントしている。

「この年になって若い女の子から手紙をもらったり、お弁当を差し入れてもらったり、今はもうこれまでの人生でありえないくらい幸せ」と無邪気に笑う加藤さんには、一つ心配ごとがある。酷使してきた足がもう限界寸前に達しているのだ。手術入院を勧められているが、ここまでにした売り場を手放したくない。何よりもせっかく出会った大切な人たちと離れるのがつらい。そんな思いを抱えながら、今日も加藤さんは国立駅に立っている。

※掲載内容は取材当時のもののため、現在と異なる場合があります。

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