今月の人

松村登淑さん

待ってたのに何で来ないの、と責められて。本当に有り難いこと

松村登淑さん

「お茶、飲みなよ」「今日はどうだい」「おじさん、私、死にたくなっちゃったわよ」―横浜市の関内駅南口付近、市役所の裏手に立つ67歳の松村登淑さんに、お客さんは思い思いに話しかける。

「こっちも言いたいこと言って、お客さんとコミュニケーションするのが楽しいんです。売れても売れてなくてもね。横浜で、せめてこの関内周辺でビッグイシューを知ってもらうのが自分の使命だと思って、頑張れるだけ頑張ってみますよ」

東京の山谷、大阪の釜ヶ崎と並ぶ寄せ場(日雇い労働の求人がある場所)であり簡易宿泊所が並ぶドヤ街でもある寿町を歩きながら、通り過ぎる男性に目をやると「倒れたら、誰かが替わればいいね」と1938年(昭和13年)生まれの松村さんは言う。

「でもね、痩せてるけど、これで結構丈夫なんですよ。今は手の震えも治まっているし」

8年ほど前のことだ。猛暑のなか歩いていると、突然、手足が激しく震えて動けなくなった。発作の後に行った別の病院で、手足の硬直や震え、動作緩慢、歩行障害といったパーキンソン病と同じ症状が起きるパーキンソン病様疾患(本態性振戦)と診断された。医師からは、原因はよくわからない、薬を飲みながらうまく付き合っていくしかないと告げられた。困ったことだが、それを機に生活保護を受け、部屋に入ることもできた。

「恵まれてるのかもしれないですね。私は」

寿町に来る前は、山谷で10年弱を過ごした。生まれは埼玉県。敗戦当時、小学校の2年生だった。家は酒屋をしていたが、地元の商業高校に通っていた頃、家業が傾いた。どうにか高校は卒業したものの就職難でコネもないため、日本橋横山町の繊維問屋街にあった小さい作業服店で「小遣い銭程度」の給料をもらって住み込みで働き始める。2年で店がつぶれた後、再び繊維関係の店で2、3年働くと、自分で商売を始めた。店は持たず洋品店から注文をとって、縫製業者に洋服を縫ってもらって納品するというもの。10年ほど、その商売を続け、25歳で結婚したが、仕事がうまくいかなくなったのが原因で離婚。衣料品を扱う大手スーパーの影響で、取引先の洋品店は次々につぶれていった。

今度は、新聞の折り込み広告の製作と配送を始めたものの、5、6年経った頃、「取引先にしてやられた」格好で顧客をとられ途方に暮れる。その後、新聞販売店に出入りしていたことから、新聞の拡張をやってみないかと声がかかり、新聞拡張団(新聞社や販売所の代わりに新聞の新規契約をとるため営業活動をする組織)に所属することに。

「やくざな世界です。真面目に仕事をしているだけでは戦力にならないんですよ。私は結構稼ぎましたが、根無し草だからみんな使ってしまうんです。競馬に競艇、好き勝手なことをしてきました。時々、1レースに10万円ポーンと注ぎ込んだりして、最後は全部持っていかれる。ばかなことをしたもんです。もうギャンブルは懲りごり。見るのも嫌です」

そろそろ固い仕事をしようと思った40代後半、新しい職場を紹介されたが、間に入った人間に支度金を持ち逃げされる。3ヶ月は我慢して住み込みで働いたもののたまらず山谷へ。建設現場で日雇い仕事をしながら、仕事のない日はあぶれ手当を受け取って暮らしていた。いよいよ仕事がなくなると、500円でリヤカーを手に入れ、そこに荷物を積んで隅田川沿いにテントを張って、4ヶ月ほど過ごしたこともある。

寿町で暮らすようになった松村さんが、ビッグイシューと出会ったのは、昨年の10月。路上生活をおくる仲間同士が互いに「自立自援」できるよう活動しているNPO法人・さなぎ達の運営する「さなぎの家」で、「販売者募集」の案内を目にしたことだ。長年営業の仕事をしていたことだし、「何かした方が健康のためにもいいだろう」と思った。

生活保護を受けているため、せいぜい1日4冊か5冊、たくさん売ることはしない。ビッグイシューを広めるため1冊買ったお客さんに、もう1冊を無料で渡すこともある。

目下の悩みは、体調と相談して売場に立つのは月に15日くらいにしているため、せっかく来てくれたお客さんにビッグイシューを買ってもらえない日があること。「この間も待ってたのに何で来ないの、と責められまして、迷惑かけて申しわけないんですが、本当に有り難いことです」。横浜でとにかく売ってみようという人が、何人か出てきてくれればいいのだが、と思う。

「人前で声を出すのに抵抗がある人もいるでしょうが、ひと声、腹から声を出せば後は続けて出てくるんですよ。皆さまにこの雑誌の理念を知ってほしいのです、とかね。ははは」

※掲載内容は取材当時のもののため、現在と異なる場合があります。

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