販売者に会いにゆく (旧・今月の人)
クロアチア、『ユーリクニ・スイェルジェイク』誌販売者ルジェーリャ
運命に導かれるように販売を始め、路上生活者の話を聞く
1991年にユーゴスラビアから独立したクロアチア。アドリア海沿岸の美しい街並みが有名だが、内陸にある首都ザグレブも古くから商業や文化の中心であり、2つの尖塔をもつゴシック大聖堂はじめ、重厚な建築物が随所に残る。
クロアチアでは決まった住所を持たないホームレス人口が急増しており、その数は1万人に迫っていると見られる。しかし、政府当局が発表している数字はこれよりもはるかに少ない。というのも、ホームレスがひとつの社会問題としてほとんど認識も調査もされていないからだ。
クロアチアのホームレス支援ネットワークでは、現在13のシェルターと寮、1つの居住コミュニティ、1つのホステルを運営している。ただし、それぞれの収容可能人数を合算しても1日当たり400人にしかならない。
クロアチアの場合、ホームレスの大半が中高年層の女性である。年齢層の差はあるものの、多くのケースにおいて、家庭内暴力(DV)やネグレクトが共通して報告されている。
その日、ルジェーリャ・プラーコヴィッチはテレビカメラの前に立ち、インタビュアーに自分の名前と年齢を告げた。似たような境遇にいるすべての女性の代弁者となるために。
ルジェーリャがザグレブにやってきたのは07年のことだった。生活のすべてを詰めた2つのプラスチック袋、それが全財産だった。同僚の借金の連帯保証人になっていて、その同僚が返済を放棄したのである。直後には、それまで17年間勤めていた会社が倒産。同じ頃に夫を亡くし、新しいスタートを切るためにザグレブに移ることを決めた。しかし、ザグレブの街はそんな彼女を歓迎してくれなかった。
いくつかの冬を路上で過ごしたが、物乞いをすることも、市のシェルターに寝場所を求めることもしなかった。ごみ箱で漁った残飯で空腹をしのぎ、空ビン回収を始めた。街に慣れるに従い、お互いを助け合うネットワークを築いていった。そんな頃、彼女の人生において最も悲しい出来事が立て続けに二つ起きたのだと言う。
まず、ルジェーリャがたびたび夜を過ごしていた街の東側にあるドゥベック駅で、泥棒に遭ったのである。盗まれたのは、彼女にわずかに残された大切な思い出の品々だった。次の出来事は中心地に近いクヴァテルニク広場で起きた。いつもと同じように歩き始めたが、空腹で寒くて、周りに人がいっぱいいるのに、たまらない孤独を感じた。
ごみ箱の上に、誰かが半分残していった大きなケーキがあった。それを食べ始めた時、こみ上げてくるものがあり、大きな声で泣いてしまったと言う。涙が流れるに任せたまま、ルジェーリャはそのケーキの残骸を最後のひと口まで食べきった。
その夜、自分がどこで過ごしたのか覚えていないが、ルジェーリャはこのままではいけないと心に決めた。そして、運命に導かれるように『ユーリクニ・スイェルジェイク』誌の販売者に出会った。ストリート誌販売の話を聞き、自らも販売者となった。
雑誌販売と空ビン回収で得た収入で、ルジェーリャは数年前から小さな部屋を借りて住んでいる。販売者になってから多くの友人・知人を得た。中には服を譲ってくれたり、健康保険加入を手伝ってくれたりする人たちもいた。
ルジェーリャは、路上生活で困っている人を見かけると、コーヒーをごちそうしたり、話を聞いたり、急を要する問題には自分のネットワークを使って解決策を探る。彼女は、ザグレブ市内には今、約3000人のホームレスがいると断言する。昨年冬、低体温症で知り合いを5人亡くした。また、市内にいるホームレス女性の大半と面識がある。彼女たちの出身はクロアチア各地におよび、最近若い人が増えているという。その事実にルジェーリャは怒りを覚え、やりきれなさを感じている。
ルジェーリャは自分の「職場」まで毎日歩いて通っている。その時間が一番好きだという。その日の気分によって、彼女は途中途中で人と言葉を交わし、共に歌い、泣くのだ。
※掲載内容は取材当時のもののため、現在と異なる場合があります。
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