販売者に会いにゆく (旧・今月の人)

米国、ナッシュビル『コントリビューター』販売者 カーティス

車社会の街で、ドライバー相手に初めて販売 その後、がん治療をしながら販売を続ける

米国、ナッシュビル『コントリビューター』販売者 カーティス

 ミシシッピ川の支流の一つ、カンバーランド川に面したテネシー州ナッシュビルは、古くからの交通の要衝だ。数多くの偉大なミュージシャンを輩出したカントリーミュージックの本場でもある。
 そんな街で7年前、カーティスは初めて車のドライバーに向けて『コントリビューター』を販売するという革命をやってのけた。その功績を知る者にとって、カーティスはレジェンドだ。現在彼は、病というもう一つの試練に挑んでいる。1年前、骨と膀胱にがんが見つかったのだ。
 そのカーティスを、彼の友人となったお客さんたちが、生活面と財政面で毎日支援している。「私の身に起こった最も素晴らしいことです。みなさんのサポートがなければ、とてもここまで来られなかったでしょう」と、彼は感謝の言葉を口にした。
 アーカンソーの農園で育ったカーティスは、現在72歳。2009年にナッシュビルへやって来た。パートナーともめた末に別れ、失業も重なり、新しい土地で再スタートを切るつもりだったと言う。彼は大学の食堂を運営する企業で働いていたが、ドラッグ使用が発覚し、仕事を続けられなくなったのだ。
 ナッシュビルへ来て1ヵ月後、彼は『コントリビューター』の販売を始める。ナッシュビルは車社会で、ストリート・ペーパーの販売者にとっては条件が厳しい。そこで彼は車のドライバー相手にこの新聞を販売することを思いたつ。車道の脇に立ち、ドライバーに新聞をアピールするスタイルは、今では『コントリビューター』にとって、なくてはならない販売形態となっている。
 カーティスが化学療法を受け初めてほぼ1年になるが、彼は今も、ナッシュビルの八番街南とウェッジウッド通りが交わる角で販売の仕事を続けている。
――あなたががんだと知った時、お客さんの反応はどうでしたか。
「私はすぐに何が起こっているのかをお客さんに話しました。みなさん、できるかぎりのサポートをすると約束してくれました。病院の予約がある時は、迎えに来て病院まで連れていってくださる女性が何人かいますし、外へ働きに出られない時は、食料をアパートまで届けてくれます」
「私の部屋代や光熱費、電話代の支払いを援助してくれた人たちもいます。電話がなければ、お客さんたちと連絡をとって、私がどんな具合か知らせることができませんから」
――あなたの手術代も、お客さんたちが支援してくれましたね。
「手術の日を決めた医師に、私はまず働いて手術代を貯めなければと伝えました。お客さんたちにそうした事情を話したところ、みなさんが手術代をカンパしてくれたのです。なかでもノースさんという男性は、もし十分なお金が貯まらなかったら、自分に電話をするようにと言いました。足りない分は、それがいくらであれ払うからと。実際、彼はそうしてくれました。今も、道行く人たちが毎日私に声をかけて、調子はどうか、痛みはあるかと聞いてくれるんです」
――初めてドライバーに向けて『コントリビューター』を売った時、反応はどうでしたか。
「50%はいい反応でした。私に唾を吐きかけたり、罵ったりする人もいましたが、素晴らしいお客さんにも出会いました」
――コントリビューターは創刊からの9年で600万部以上を販売しましたが、あなたはそれに大きく貢献をしていますね。
「私は『コントリビューター』の37番目の販売者ですが、1ヵ月間に800部を売ったのは私が最初でした。売り上げナンバーワンも数回達成しました。でも、『コントリビューター』がこれほど大きく発展するとは予想もしませんでしたね」
――販売の仕事を続ける動機は何ですか。
「毎日、素晴らしい人々に会えることです。これはとてもいい新聞です。街角に立って、手を振り、人々に笑いかけるのは大好きです。どんなに身体が痛くても、顔では笑い続けますよ」

Photo: The Contributor

『The Contributor』
1冊の値段/2ドル(約220円)、そのうち1ドル25セントが販売者の収入に
発行回数/週刊
販売場所/テネシー州ナッシュビルと、その郊外

※掲載内容は取材当時のもののため、現在と異なる場合があります。

この記事が掲載されている BIG ISSUE

301 号(2016/12/15発売) SOLD OUT

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