販売者に会いにゆく (旧・今月の人)

岡本和也さん

人の温かみや働く喜びを感じる2年ぶりに戻ったビッグイシュー

岡本和也さん

真っ黒に日焼けした手にビッグイシューのポスターを持ち、腕は空に向かって真っすぐに掲げられている。それは遠くにいても、はっきりと見える。
腕を上げているのは、東京メトロ・本郷三丁目駅近くの本郷三丁目交差点で毎日、朝8時から18時くらいまで販売をしている岡本和也さん(28歳)だ。「真っすぐに腕を上げるのと、上げないのとでは売り上げも違ってくるんです」と岡本さんは言う。見ていると簡単そうだが、実際に炎天下の中やってみると、かなりしんどい。上げた腕は痺れてくるし、腰に負担がかかる。それでも岡本さんは姿勢を崩さず立ち続ける。
広島県出身の岡本さんは、昔から運動が得意だったという。高校のマラソン大会では学年で2位になったこともある。販売中の姿勢の良さや、忍耐力は長距離ランナーだったことからきているのかもしれない。
高校を卒業した岡本さんは、地元の清掃会社にアルバイトとして入社。それを機にアパートでひとり暮らしを始めた。「変な話ですが、ホームレスになって野宿していた時よりもつらかったです。雨風はしのげましたが、毎月の家賃、食費、光熱費といった生活費で給料のほとんどは消えていって何のために働いているかわからなくなっていたし、何よりも孤独でした」
1年ほど働いた後、仕事を辞めて19歳で東京に向かった。東京に行けば、もっといい仕事があるのではないかと考えたからだ。
東京で最初に就いた仕事は、建築現場の作業員だった。契約期間が決まっている仕事だったため、期間中は寮にも入れて衣食住には不自由しないが、契約が切れるとすぐに住むところがなくなった。そして次の仕事が見つかるまでの間にお金が尽きてしまうと、野宿をして暮らした。野宿の日々が1ヵ月以上続くこともざらだった。
「東京に出て2、3年は建築の仕事を転々としたり、ホームレスをやったりの繰り返しでした。でもそのうち建築の仕事に嫌気がさしてきました。現場は荒っぽい人間も多くて、酒癖の悪い人が寮で暴れたり、ケンカなんかもよくありましたから」
建築現場の仕事を辞めた岡本さんは、不定期の日雇いのアルバイトを始めた。その仕事を始めてしばらくたった頃、仕事仲間からビッグイシューのことを聞いた。
「その人は、日雇いの仕事をやりながらビッグイシューの販売者もやっていました。彼の話によると、自分のペースで好きな時間に販売できると聞いてやってみようかなと思ったんです」
24歳の時、ビッグイシューの販売者となった。最初に任された販売場所は、渋谷駅西口のバスターミナル付近。ところが始めてから数ヵ月たった頃、販売冊数が急に落ち込んだ。
「売り場近くにあった東急百貨店の東館が閉店した日から雨が降り出しました。路上で売っていますから、雨が降ると販売できないんです。その後、雨は何日も降り続きました。それでとうとうお客さんに渡すお釣りさえなくなってしまったんです。今考えれば、事務所に相談すればよかったのですが、その時は『これではもう販売を続けることはできない』と思ってしまった」
それからは売り場に顔を出さなくなり、再び以前の仕事に戻った。しかしその仕事をやりながらも、いつかはビッグイシューに復帰したいとずっと思っていた。
2年後の今年5月、今度は自分から、もう一度販売者として働きたいと申し出た。
「ある時は切ったスイカを差し入れてもらったり、発売日には必ず買いに来てくれる常連さんとの会話があったり。東京に来て8年になりますがビッグイシューに出合うまでは、人の温かみや働く喜びを感じることはなかったですね。だからどうしてももう一度、ここに戻ってきたかったんです」
今はまだビッグイシュー以外の仕事は考えられないという岡本さんだが、自分に合う仕事を見つけるためにも若者の就労支援を行っているNPOやハローワークに相談に行くつもりだという。

※掲載内容は取材当時のもののため、現在と異なる場合があります。

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